宝島のチュー太郎

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山の上ホテル「最後」のひととき





 

 山の上ホテルが休館するそうだ。
私は、毎日この前を通って教室に通ってた。





 母校の中に所在するような位置関係。
当時はそこを利用することはなかったが、久しぶりに出張で上京した折に泊まった。
シックな造りでとても良かった。

 私が通ったのは1977~79年だから、46年前。
創業70年てことは、あの頃山の上ホテルはまだ24年しか経ってなかったんだね。
あ、でも建築は昭和12年とあるから、建物的には87年経ってるから、45年か。

 出来れば残してほしい施設だ・・・

 



以下引用

 山の上ホテル「最後」のひととき 文豪らに愛され70年 老朽化で13日に休館

 三島由紀夫川端康成など多くの文豪が執筆活動のために泊まり込みで作品を書き上げた場所として知られる「山の上ホテル」(千代田区神田駿河台)が建物の老朽化のため、今月13日から当面の間、休館する。「食」「おもてなし」にこだわり、日本のクラシックホテル黎明期から続く創業70年の老舗。休館を発表した昨年10月以降、多くの予約が殺到し、連日訪れる利用客が「最後」のひとときを味わっている。

 休館まで2週間ほどに迫った日の昼下がり、平日にもかかわらず多くの人が宿泊や建物内にある飲食店を訪れるため、外まで行列ができていた。左右対称で階段状になっている特徴的な外観を背に、記念撮影をしている人の姿もみられた。

建物は昭和12年、衣食住など生活力向上を目指す教育事業の拠点「佐藤新興生活館」として建てられた。設計を手掛けたのは、日本で多くの西洋建築を残した米国出身の建築家、ウィリアム・メレル・ヴォーリズで、1920年代にフランス・パリで生まれた直線的でモダンなデザイン「アール・デコ」が特徴。それだけでなく、和洋折衷的装飾も用いられた。

先の大戦中は旧日本軍が使用し、戦後は連合国軍総司令部(GHQ)の傘下に。接収解除後の29年、創業者の吉田俊男氏が、当時の愛称「HILL TOP HOUSE」を意訳した「山の上ホテル」として開業した。

 もともと建物はホテルとして設計されておらず、35ある客室は同じ間取りではない。開業にあたっては洋室のほか、靴を脱いでくつろげる畳の部屋を用意し、部屋ごとに異なる特注の家具を配置。庭の有無や窓の方角によってカーテンや壁の色も変えるなど、あらゆる需要に応え、部屋ごとに異なる雰囲気が楽しめるようにした。

徹底した「お客さま目線」はホテルでの食事にも表れる。館内には7つの飲食店を備え、西洋料理のほか和食、中華、鉄板焼など、ジャンルに富んだレストランが利用客を満足させる。食に対するこだわりが人一倍強かったとされる創業者の吉田氏の影響もあり、創業当初は調味料もすべて一から自前で作っていたという。ホテル出身の料理人がミシュランを取得するなど「食の山の上」とも呼ばれてきた。

出版社が多く集まる神保町や神田に近い縁もあり、数多くの作家がホテルに「カンヅメ」となり、執筆活動にいそしんだ。フロントが電話などで作家と編集者の橋渡し役を担い、締め切り間際になると編集者がロビーやレストランを利用して原稿を待つようになった。

総支配人も務めた顧問の中村淳さん(68)は、作家の池波正太郎に連れられ、神保町まで本を買いに行ったことがあるという。「大きさの違う5冊10冊を買って一緒に持って帰ったりした。すごく楽しかった」と振り返る。作家の欲しいもの、してほしいことを間近で見て察することで「お客さまへのおもてなしの心を勉強させていただいた」(中村さん)という。