宝島のチュー太郎

20年続けたgooブログから引っ越してきました

    冬でも生のまま舐める、店主はそれが好き

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12.23.君は・・・





 書き掛け未完成なんだけど、日ごとにアップしたそれでは自分でも読みづらいので、一連の文章にしてみた。
いずれ、こいつを完成したいと思いつつ・・・




【プロローグ】

 今から話す物語は、ちょうど30年前、僕が明治大学の4年生だった頃の淡い記憶のトレースだ。

 小説家に憧れはしても、その実力のないことも、また、これまでただの一度もトライしたこともないのだから、気力すらもないことは僕自身が一番良く知っている。

でも、どうせ何かを書くのなら、表現したいのなら、いつもいつも書き殴るのではなく、少し襟を正して取り組んでみるのも面白いんじゃないかと思ったんだ。

 そもそも小説というものがどういうものなのかを知らない僕には、何をどう始めればいいのか、それすら皆目見当がつかない。

恐らくは、まずテーマありきで、それを背骨に手足をつけてストーリーを組み立てる。
もしその舞台が、自分の経験してないものなら、徹底して取材する。

こんな感じじゃないかと想像するのだけど、そんなもの何もない。
取材をする気力や能力がないのだから、自分の経験の範囲で書く外はない。

 すると、いきおい、私小説か?ということになるが、僕はその響きがあまり好きではない。

だから、私小説ではない・・・が経験がものを言ってるかもしれない。

なにはともあれ、そんなレベルでもいいから、少し真面目に文章をいじってみたくなったのだ。




【1】

海を見ていた。
1980年2月の、とある日曜日の午後、季節はずれで人影の少ない由比ヶ浜

 僕の隣には、小夜子が並んで立っている。
やはり、僕と同じように海を見ている。


 小夜子とは、その前の月、新宿のディスコで出会った。
僕は、時々、職場の同僚と週末に出掛けては、ラストまでひたすら踊りまくることで、ストレスを発散するようなところがあった。

 ディスコという場所は、ナンパ目的の男も多い。それは事実だ。
ただ、僕たちはそういうタイプではない。
硬派というほどではないが、軟派でもない。
いや、正直言うと、女の子に声を掛ける勇気がなかっただけなのかも知れない。

ともあれ、純粋に踊って、チークタイムになると、席に戻って、食べて飲むというごくありきたりな楽しみ方を追求するタイプが僕たちなのである。

 なのに、その日は何故か隣で踊っている女の子と目が合った。
それが小夜子だった。

いつもなら、また独りで踊り続けるところ、何故か自然に向き合って踊った。
女の子も、特に嫌がる風もなく、さりとて積極的に近づいてくるでもなく、ごくフランクな距離を保ったまま、二人は踊り続けた。

 やがて、ダンス曲からスローバラードに変わり、それと同時に照明が暗くなる。
いつもの僕なら、とっとと席に戻るところだ。

だが、その日の僕はどういう訳か、ごく自然に女の子の手を引いていた。



漆黒のストレートヘアから、シトラスの香りがした。
華奢なその体は、強く抱くと折れそうだった。

 どんな会話を交わしたかは、実のところよく覚えてない。
でも、その後、彼女の友達たちに強引に連れ去られる頃には、彼女が沖縄出身だということと、僕より三つ年下だということと、彼女の電話番号、これらを聞き出していたのだから、ポイントは押さえていたのだろう。




 翌日電話を掛けてみた。
どうやら、その帰り道、彼女の友達たちに釘を刺されたらしい。

「あの男は、どうみてもプレイボーイだからやめときな」、こんなことを言われたというのである。

え?この僕がプレイボーイだって?
笑うしかない。

「で、君はそのアドバイスに従うの?」と僕。
「危ないことしてみたいかも」と彼女。

次の週末に新宿でデートをする約束を取り付けた。


 ここで、問題点が一つ。
僕は彼女の顔をハッキリ覚えてない。
ディスコタイムでは向き合ってても、チークタイムで顔を見ることはほとんどない。
だから、いくら思い出そうとしても、脳裏にその顔が浮かんでこないんだ。

 やっぱ、この辺りがプレイボーイ?
まさかね。


 新宿駅の東口、ガード下の通路に一番近い出口を待ち合わせ場所に決めた。
夜がこれから始まろうとする時間帯の新宿駅の雑踏の中から、どうやって顔を覚えてない女を見つけだせばいいのだろう?

その心配が杞憂であったことは、人混みの中からこちらに近づいてくる女の子の顔を見てすぐに判った。

そうだよ、これが小夜子だよ。


その夜から、僕たちは、いわゆるステディな関係になった。

じゃあ、夜ばかりじゃなくて、日曜をずっと一緒に過ごそうよ、ということにもなる。

東京には海がない。
晴海埠頭?
あれは海じゃない。

よし、じゃあ鎌倉へドライブしよう。


社会人一年生のくせに、僕は車を持っていた。
といっても、それは、埼玉に住む叔父の車を、その兄である父が、頼まれて買うことになったもので、僕自身がお金を出した訳ではない。 




日曜の朝、小夜子を迎えにいって、首都高から横羽線を快適に走る。
でも、浮き立つような楽しさはない。

ステディを自認する若い男女が、冬とはいえ、快晴の空の下、日曜日にドライブしてるんだから、本当ならもっと楽しい筈じゃないかな?



その理由は、僕自身はハッキリしていた。
それは、ケイのせいなんだ。

小夜子はケイじゃないんだ。



並んで海を眺めながら、小夜子がポツリと言った。

「私、実はまだ忘れられない人がいるんだ、ゴメンね。」




そうか、小夜子もそうだったのか。
だから、手放しで楽しめないんだ。

やっぱ、ディスコでの僕らしくない行動は、神様のいたずらだったんだ。




小夜子といながら、僕はケイのことを考えている。
小夜子は小夜子で、誰か僕の全然知らない奴のことを考えている。

こんな淋しいデートってあるだろうか?



この年のヒットチャートは、「大都会」と「さよなら」がデッドヒートを繰り返していた。


だから、ドライブの間に幾度と無く、カーラジオから流れる「さよなら」。
その旋律と歌詞は、忘れたい思い出を強引に僕の前に押しやってくる。



ケイ、今何してる?



【2】

 1978年6月、僕の名は、西村史郎、22歳、明治大学法学部の4年生。
アルバイトばかりで、学業は疎か、脳天気な学生である。

ただ、ちょっと言い訳をさせてもらうと、アルバイトは生活費捻出のために必要だったのであって、遊ぶ金欲しさではない。

それが証拠に、結局4年間通して、一度もサークルというものに入ったことがなかった。

入りたくても、アルバイトに時間を取られるから、無理だったんだ。



 この日は、そのいくつ目かのアルバイトの最終日だった。
学友を捕まえたければ、教室よりも、その確率が高いというたまり場「千代田荘」(雀荘)を後にして、お茶の水から中央線で新宿へ。

東口を出て、スクランブル交差点を渡り、紀伊国屋書店の手前を左に折れる。
既に梅雨は明け、初夏の様相を見せる新宿の昼下がり。
時折頬を撫でる風が、まだ盛夏までには少しゆとりのあることを感じさせてくれる。

アドホックビルの脇を通り、靖国通りを渡ると、区役所通りに出る。
この、靖国通り1本を隔てることで、新宿が別の顔を見せる。

新宿区役所を左手に、少し行き過ぎると、右手にゴールデン街の入り口がある。
そこを少し行き過ぎたところにあるビルの1階にある喫茶レストラン「ウィザード」が、僕のバイト先。

 まず、最上階の7階まで上がり、従業員控え室で制服に着替える。
僕のシフトは、中番といって、16時から22時。
実は、そのシフトの見直しが入って、いわゆるアイドルタイムの人員を削減し、残るなら、遅番であるラストの3時までを受け持つことを要求されたので、僕はすんなりと削減される側に回ったのである。

 
1階に降りて、さあ、最後のお勤めだ。

今日最初のお客さんは沙耶とその友達。
沙耶は女子高生で、ここのバイト生。
いつもは早番だから、僕とは数時間だけ仕事が一緒になる。
今日はお休みらしい。

とてもスタイルが良くて、綺麗な顔立ちをしていて、おまけにバリバリの東京ッ子なので、僕はちょっと気後れしてしまうタイプなんだ。

オーダーを受けるときに少し話をしていると、流れてきたのが「宇宙のファンタジー」。
アース・ウィンド&ファイヤーの曲で、ディスコで大ヒットしている。
僕は、ディスコでこれがかかると、うっとりしながら踊る悪い癖を持っている。






「キャー、やった~!」
沙耶もこの曲が大好きだと言って、ソファーに腰掛けたままで踊る。

僕は、沙耶のそういうところが好きだが、ついていけない。


沙耶は帰りがけに、「西村さん、今日までだったよね。元気でね。」
そう言いながら手を振って帰っていった。


あれ?
もしかして、それを言いに?

僕は鈍いのだろうか?
沙耶、ありがとう。




おっと、今日も来てるねケンさん。
ケンさんは、ゴールデン街専門の流しで、いつもパンチパーマに真っ白のスーツ、そしてやはり真っ白のエナメルブーツ。
どこからどう見てもその筋の人なんだけど、笑うと、人の良さが奥に透けて見えるような中年男。

このケンさんが時々出前の注文を入れてくる。
元来、出前などしない店なんだけど、どうやらみんなケンさんには弱いらしい。

大抵、僕がその出前役をやらされた。
ゴールデン街の中程手前にある事務所に珈琲を何杯か、トレンチに乗せて運ぶんだけど、夜のゴールデン街は、一種独特の雰囲気を漂わせており、僕なんぞはまだ早いと言われそうで、出前を終えると、早々に退散したものだった。

だって、怪しげなお婆さん(おばさんと呼ぶにはあまりに無理がある)が、外で煙草をくわえて、こっちを見てるんだから、ゾクっとするさ。

今考えれば、あの頃、裏庭のようなものだったんだから、もっと積極的に飛び込んで行けば良かったと思うが、後の祭りだよな。

 21時になると、遅番の連中がやってくる。
フロア担当の山崎とカウンター担当の天野。
どちらも同い年だが、この職場では僕が先輩。

実は、このバイトはいわゆる縁故で採用されたんだ。
僕の高校の同級生である恭子が持ってきた話。

法政大学に通っている恭子の学友が、この喫茶レストランとそのビルのオーナーの娘で、新規開店に当たり、スタッフを募集していて、その縁故関係のラインに引っかかったのが僕なんだ。

面接?で、その恭子の友達に会った。
お金持ち独特の匂いがした。

恭子は不思議な女で、妙にそういうラインの友達を持っている。
女優の卵だったり、小説家だったり・・・

六本木のロアビルの「キャステル」というディスコも、恭子の仲間と行った。
いつもは、せいぜいが新宿か吉祥寺辺りのディスコしか知らない僕には、ちょっと異次元空間だったな。

・・・だから、僕は開店準備の段階から参加している。


で、彼らはその後入ってきたという訳だ。
彼らは元々遅番だから、残ることになっている。
僕が今日で終わりだということを承知しているので、随分と別れを惜しんでくれた。
と言っても、連絡先を教えあうというほどのレベルではない。


 ふう、終わった。これでまた一つ経験が増えた。
このバイトも僕の知らない世界を垣間見せてくれた。
その上、学生にしては充分なバイト料ももらったし、僕にとって、様々なアルバイト体験は、一石二鳥の仕事なんだ。

 蝶タイをはずしながら店の脇のドアを出ると、厨房のドアからセコンドが顔を出して、「西村、ちょっとつきあえ」と声をかけてきた。

この日は、セコンドと僕の退店時刻がちょうど一緒だったようだ。
セコンドは既にもう私服に着替えていたので、僕は慌てて7階に上がり着替える。

1階に降りると、セコンドがエレベーターの前で待っていてくれた。
「ちょっと飲みにいこう」
そう言うなり、どんどん先を歩く。

鈴なりのタクシーを縫うようにどんどん歩くセコンドを追いかけながら、「どこへ連れて行ってくれるんだろう?」と思っていたら、風林会館の近くのビルに入っていく。

そこは、サパークラブだった。
学生の僕は、新宿ならコンパ「グルッペ」や、住友ビル5○階のパブ「ACB」、せいぜいが、スコッチパブの「バグパイプ」あたりしか行ったことがない。

それが、いきなりサパークラブなんだ。
なんだかやけに暗い店内に、テーブルだけを照らすピンスポットが当てられている。
ゆったりとした配置のテーブルには、大人達が静かに盛り上がっている。

そう、静かなんだけど、場の雰囲気は明らかに異様に盛り上がっている。

目のやり場に困るようなドレスを着たおねえさんが隣に座って水割りを作ってくれる。
取り敢えずそれを飲むけど、それ以外に何をすればいいんだろう?
話すことなんて何もないし、困ったと思っていたら、おねえさん、上手に話題を振ってくる。
おまけに太股にそっと手を乗せたりなんかして。


「あかんて」・・・

僕はもういっぱしの東京人を気取ってはいたが、心の中の局面では、故郷である新居浜の言葉が出る。



 店を出て、タクシーに乗るまでのホンのわずかな時間にセコンドが、「シフト替えは俺の提案だ。お前には悪いことをした。ご苦労さんだったな。元気でやれよ。」と言った。

「とんでもない。ありがとうございました。」
と、僕は頭を下げた。

一緒に乗るように誘われたが、丁重にお断りをして、セコンドとはそこで別れた。
以前から、多くを語らない人だったが、最後まで格好良かった。




 時刻は24時を回っている。
走ればまだ終電に間に合う。

でも、まあいいや。
ゆっくり歩いて帰ろう。

 僕は東高円寺に住んでいる。
杉並区和田の「埴生荘」というアパートだ。

青梅街道沿いに40分も歩けば帰り着く。
だから、電車の時刻を気にしたことがない。


そうか、「ウィザード」に寄って帰ろう。

思いがけず、数時間前に別れを告げた元バイト先に、今度は客として入る。




 そこで初めて出会ったのがケイなんだ・・・



【3】

 実は、ふと思い出したことがあるんだ。
キャッシャーとして、可愛い子が入ったと、山崎と天野が口を揃えて言ってたのを。

その子は23時からラストまでのシフトで、22時で上がる僕とは、どこまでいってもすれ違い。

だから、もう数ヶ月、同じ店に勤めていても、一度も顔を合わせたことがない。

そのくせ、二人からは逐一、聞きたくもないのに報告が入る。

何処かの専門学校に通っていて、名前は西山といい、明るくて、みんなと分け隔てなくつきあえる、とてもいい子だとか。

オーナーの息子である専務のお気に入りだとか。
専務は、恭子の学友の長兄に当たり、銀行出身なんだけど、40歳が近いのに独身なんだ。


果ては、彼氏がいるんだろうかとか、デートに誘おうかどうしようかとか、ふられたらどうしようとか、どう誘えばいいんだろうとか・・・

それを、それぞれが個別に僕に相談してくる。

勝手にすればいいじゃん。



 それが、どうやら彼氏はいないらしい、から始まって、ある日、山崎は、ついに後楽園のジャイアンツ戦に一緒に行ったと得意げに報告するし、その数日後には、今度は天野が、一緒に食事に行ったと自慢する。


僕は、そうかそうかと聞きながら、「なんだ、ただの尻軽女じゃん」と思っていた。

ただ、どちらも後日談がない。

聞けば、次の誘いには応えてくれないらしい。
どうやら、二人とも思い通りに事が運ばないことに悶々としているようだ。

 

 なんて女だ。
僕はそう思いつつも、少し気になっていた。

二人の男を同時にあしらうなんて、性悪な女なんじゃないか?
でも、
どんな子なんだろう。

単純にそんな興味があった。



 「よし、どんな女なのか、顔だけでも見てやろう」
そう思いながら、ウィザードの自動ドアを通り抜ける。

入ってすぐ左手にショーケースとキャッシャーがある。
生憎、そこは無人だった。

まあ、いいか、どうせ会計のときには嫌でも顔を合わすことになるだろうから。


一番奥のテーブルに座る。
そこなら、バイト生と話せるから。

「西村どうした?」と山崎。
「セコンドと飲んでた」と僕。

「へえ~、いいなあ、俺なんて声も掛けてくれないのに。」
「いや、最後だから気を遣ってくれたんだろう。」

奥のカウンターから、
「なんだ、戻ってきたのか西村~」と天野。
「バカ、ちょっと寄っただけだよ」と僕。


「西山さん、見たか!?」と山崎。
「え?気づかなかったなあ」と僕。

わざわざ顔を見に来たということを悟られたくなかった。
我ながら小さい。



 トイレに行くフリをして、カウンターから出てきた天野が、「よし、店がハネたら、送別会をしよう、待ってろよ、西村。」と言えば、「そうだなあ、やろうやろう!」と山崎。

なんだかいいノリになってきた。
翌日、特に用事があるわけじゃないし、それもいいねえ、ありがたくゴチになりますか。


相談がまとまれば、それぞれが持ち場に帰る。
マネージャーやチーフの目もある。

僕は読みかけの、「怒りの葡萄」の続きを楽しむ。





 やがて閉店時刻。
取り敢えず、僕は代金を払いにキャッシャーへ。
さて、どんな子かな?





 か、可愛い・・・タイプだ。

サラサラでほんの少し栗色、そしてやや長めのショートヘアに、つぶらな瞳。

スッキリとした目鼻立ちで、そのままだと瓜実顔になるところを、頬から下顎にかけての部分に柔らかな膨らみがあるから、優しい顔立ちになる、その輪郭。


誰かに似てる・・・
そうだ、サーカスのリードボーカルのマサコ?

いや、それより可愛いぞ・・・

なるほど、あいつらが言うのも頷ける。



これが、ケイとの邂逅だった・・・




【4】

 何か挨拶を・・・とも思ったが、やめにした。
だって、僕の方は彼女の存在を(噂だけとはいえ)知ってても、彼女にとっては全くの初対面だし、どうせ、その場限りの刹那的な出会いでしかない。

いや、出会いというほどのものですらなく、大勢いるお客さんの中の一人にしか過ぎないのだから。


 やがて、看板の灯は消され、シャッターが下ろされる。

山崎と天野以外のスタッフは全員帰って、3人でビールやおつまみを準備する。
勿論、ビールは店のもので、小瓶なんだけど、何本も並べている。

おつまみは、どうやら厨房にお願いして作ってもらったようだ。

「おいおい、勝手に飲んで大丈夫なのか?」と僕。
「いいんだ、チーフの了解をとってある」と山崎。

「そんなことよりさ、飲もう飲もう」と天野。
「じゃあ、遠慮無く」と僕。

「どうよ、西山さん、可愛かっただろ!?」と山崎。

「そうだなあ・・・」と言いかけたところに、通用口のドアが開いて、彼女が入ってくる。

きょとんとしている僕に、「誘ってみたんだよ!」と天野。

「さ、西山さん、こっちに掛けて」と山崎。



 ぴったりめのスリムパンツに、ゆったりとしたダンガリーシャツがとても良く似合ってる。

さっきの制服姿も清楚で綺麗だったけど、打って変わって私服は、活き活きとしていて、彼女の伸びやかな心を顕しているかのようだ。



「ヤバイ、惚れてしまいそう・・・」
これは、僕の心の声。


ポカンとしている僕の隣に彼女を座らせて、山崎は天野の隣に陣取る。
4人がけのテーブルに、僕と彼女が並んで座り、その対面に天野と山崎が座る。

恋のライバル同士の駆け引きがそういう布陣に自然としたのだろう、多分・・・



「こいつが、例の西村」と、山崎が彼女に僕を紹介して、
「この人が噂の西山さん」と、天野が僕に彼女を紹介する。


「初めまして、お疲れさま。」と僕。
「さっき、お会いしましたよね」と彼女。

「え?知ってたんですか?」
「ハイ、お二人から送別会をするから、参加しないかって、さっき。」

「そうか、じゃあ、ちゃんと挨拶すべきでしたよね。ごめんなさい。」
「いえ、こちらこそ、人見知りがちなもので、すみません。」


 そこからは、山崎と天野が加わって、ワイワイガヤガヤと楽しい宴になる。
ただ、僕は両方の進展具合を知ってるが、それぞれは内緒にしているようで、微妙なバランス関係の上に成り立っている。

それは結局、僕を中心に話題が展開するという図式を作り上げる。

どうやら、僕が彼女の話を聞かされていたのと同じように、彼女も僕の存在は、二人から聞いて知っていたようだ。


「偶然、服がお揃いですね」と彼女。
「ホント、おかしいね」と僕。

実はこの日、僕も全く同じ出で立ちだったんだ。
少し違うのは、僕の方はストレートパンツだったということだけ。


「ペアルックみたいじゃん、それに名前も似てるし」と山崎。
「うん、お似合いのカップルだよ」と天野。

心にもないことを、と思いながら、その微妙な牽制具合が微笑ましい。




 
 あっという間に時は過ぎ、気づけば、もう6時。
「そろそろお開きにしようか」という天野の一声で、みんなで片づけをする。

「じゃあ、俺たち着替えてくるから」と山崎。
「西村、また会おうな」と天野。

この二人の微妙な牽制が、僕たち二人をすんなりと先に帰すことになる。





セコンドに誘われなかったら・・・
山崎と天野が送別会を開いてくれなかったら・・・

そして、その二人の、恋敵という牽制がなかったら・・・


いくつもの偶然が重なって、僕たちは出会った。






通用口から外に出ると、すっかり夜が明けている。

左に曲がれば新宿駅

「あの、私、こっちですから」と、彼女は右に曲がろうとする。
「え?駅に行かなくていいの?」

「ハイ、20分ほど歩いたところにアパートがあるんです。」
「そっか、じゃあ、送るよ。」

何が「じゃあ」なんだろうと思いながら、僕も右へ。
ここで、「いえ、結構です」と言われたら、素直に「そう?」で済んでただろう。


「え?でも、帰りが大変でしょ」と彼女。
「いや、散歩がてらにちょうどいいから」と僕。


初夏の朝日が目に眩しい。
通りに出されたゴミの数々が、繁華街新宿の朝帰りを実感させる。

雀がチュンチュンと鳴く幸せな朝だ。
僕はこのとき、「この朝の光景は、多分死ぬまで覚えてるだろうな」と感じていた。

まっすぐ行けば新大久保に出る。



 そこで、ふと思い立った。
「ねえ、中央公園に行ったことある?」と僕。
「いえ、ないです。」と彼女。

「一度行ってみたいと思ってたんだけど、行ってみない?」
「今からですか?」

「そう今から」
「う~ん、なんだかペースくるっちゃうなあ」

「いいじゃん、行ってみよ」と僕。
「よし、いこっか」と彼女。


二人揃って進路を左へ。




これが、僕たち二人の逃避行の始まりだった・・・




【5】

 嘘ではなく、ホントに新宿中央公園にはまだ行ったことがなかった。

だって、そこへ行く理由がないのだから、その必要はないだろう。

でも、一度くらいは行ってみてもいいと思っていた。

そこで、たった今、行く理由が出来たという訳だ。



 新宿駅の反対側に当たるから、新宿駅を目指して歩く。

歩きながら、お互いをもう少し知る。

彼女の名は、西山圭子、同級生、白百合女子短期大学を卒業し、今は家業を継ぐ為の勉強に、渋谷にある専門学校に通っている。

そして、その実家は岩手県


勿論、僕のことも正直に話す。
ある一点だけを除いて。



新宿駅が近づくにつれ、徐々に便意が・・・
「このままじゃヤバイかも」と、心の声。


「あのう、トイレに行きたくなったんだけど、ちょっと駅に寄ってもいいかな?」

「いいですよ。」


西口から地下へ降りて最初のトイレを目指す。

「私も。」と彼女。

「うん、じゃあここで待ち合わせしよう。」と僕。



かなりヤバかった。
だって、普通ならその時間帯な訳で、まあ、健康体の証でもある。

快適に事を済ませて、外に出ると、彼女はまだ出てない。
男と違って女性は色々あるのだろう。


 

 ふと見ると、丸の内線の乗車券売り場がそこに。
僕はそこから三つ目の駅、東高円寺界隈に住んでいる。

そこで、また僕の頭に電球が点った。

東高円寺までの切符を買う。
勿論、自分の分は定期券があるから必要ない。
そう、彼女の分だ。

拒否されたら記念品にすればいい。
僕は、こうした記念品集めが趣味なんだ。


彼女が出てきた。

「ハイこれ」と、いきなり切符を彼女に手渡す。

「え?」
「予定変更!俺の部屋に行こう。ここから近いんだ。」

彼女は吃驚した顔をしている。


「でも・・・」と彼女。
「もう切符買っちゃったし」と僕。


「なんか完全にあなたのペースに巻き込まれてない?私。」
「たまにはそういうのも面白いでしょ?」


「仕方ないなあ」という彼女の言葉と同時に、僕は彼女の手を引いていた。


 通勤ラッシュにはもう少し時間がある車内は空いてはいたが、話すには大きな声を出さねばならず、僕たちは扉の近くで、彼女をてすり側に、僕がそれを守るような位置関係で、黙って立っていた。

お互いが外を見る形になっている。
丸の内線は地下鉄だから、扉が鏡になる。

僕たちは、鏡を通して時々見つめ合った。
でも、それも長くは続かない。

実は、僕はその頃になってようやくドキドキし始めたんだ。
多分、それは彼女に伝わってるだろうし、勿論、彼女のドキドキも伝わってきた。



そうなんだ。
僕たちはまだ出会ったばかりで、猫の「地下鉄にのって」の歌詞に出てくるような関係までには、もう少し時間が必要だったんだ・・・



【6】

 階段の向こうには初夏の朝の陽光が広がっていた。

青梅街道沿いの駅の昇降口を出たら、通りを渡らずに、180度折り返し、蚕糸試験場跡地や学校の塀沿いに進む。

やがてその塀が切れるところで一度左にクランクして、今度は住宅街の中を進む。

突き当たりが大和湯といって、僕のいきつけの銭湯。
その少し手前を右斜めに入り、坂を少し上がったところが小さな四つ辻になっていて、そこを越えた袋小路の手前左手にあるのが埴生荘だ。

東高円寺の駅から、ゆっくり歩いて15分ほどのところにある。



 僕たちは段々無口になっていた。
並んで歩きながら、他愛のない世間話と、アパートまでの道順の説明をすると、他に切り出す話題が見つからなかった。

いや、ホントはいくらでもある。
山崎や天野のことだって聞いてみたい。

ただ、いきなりそうした核心の部分に触れたものかどうか、戸惑っていたんだ。

そういうぎこちなさは、当然彼女にだって伝播する。



 
 埴生荘は2階建てのアパートで、2階は、2部屋で共有するトイレが、階段の突き当たりにあって、その両サイドにそれぞれの部屋のドアが配されているという、少し変わった造りになっている。

僕の部屋は、埴生荘の入り口から数えて3番目にある。
「埴生荘」という看板がかかったブロック塀の門を抜けて、建物を右に迂回すると、共同の水場があって、そこを過ぎたところに、2階へ上がるドアがある。



 部屋に入って、窓を開け放つと、爽やかな風が入ってくる。
ようやく落ち着くことの出来た僕たちは、お互いにどこかホッとしている。

部屋をグルリと見回しながら、
「男の人の部屋ってこんな感じなんだ」と彼女。

「男の部屋に入るのは初めて?」と僕。

「うん」

「そうか」








ステレオから流れるFM東京の番組をBGMに、アイスコーヒーを飲み干すと、僕は、折り畳んだふとんを枕に、横になった。

いつもは押入れに入れるのを、その日はたまたま折り畳んだままで出掛けてしまっていたんだ。

心地よい疲労感が全身を包み込んでいる。
そりゃそうだ。
徹夜で飲んだ挙げ句に、結構歩いた。

それは、彼女だって同じ事。

「少し眠ろうか」と僕。
「だって」と彼女。

「横になってごらん、気持ちいいから。」
「うん」

彼女も、同じようにふとんを枕にして、僕の隣に横になる。


 
 
 でも、お互いに眠くならない。

狭い四畳半の部屋に二人が並んで寝転がる訳だから、少し手を伸ばせば、彼女の手に触れる。

少し、モールス信号を送ってみようか。



そっと、彼女の手に、僕の手を重ねてみた。

特に嫌がる風はない。

僕の心拍数が上がってきた。

「ここで躊躇するのは野暮だろ」と、僕の中の悪魔が囁く。

ゆっくりと上半身を起こし、彼女の上に重なり、そっと唇を合わせてみる。
軽く触れるか触れない程度の優しいkissになった。


そして、その先へ進もうとした、その時、
「やめて!」と跳ね返された。

そんなこと言われても、もう僕の中のスイッチは入ってしまってる。


 その先は、延々と堂々巡りの消耗戦となった。
僕は、無理矢理に事を進めることの決して出来ないタイプなんだ。

一進一退の攻防戦の中で交わした言葉の数々が、僕の中の彼女に対する誤解をほどいていった。


山崎も天野も、いい人だから断り切れずに一度はデートにつきあったが、それ以上進む気にはなれなかったので、それから後はハッキリ断ったこと。

実は、専務にしつこく誘われてて、それを断り続けるのが嫌で、僕と同じ日にアルバイトを辞めたこと。

そっと辞めたかったので、専務以外には、そのことを誰にも話してないこと。

高校も白百合女子学園だったので、これまで男性とつきあったことがないこと。

彼女で5代目の老舗の長女なので、母親の躾が厳しく、決して結婚前にふしだらな真似はするなと教わったこと。

ただ、その反発心で、デート程度は、これまで複数の男とあったこと。

そして、最後は、「婚約者がいるから、絶対ダメ」だと言う。



「じゃあ、なんで俺の部屋に来たの?」

「なんとなく、そのまま別れづらかったから」

「てことは、俺に好意を持ってるってこと?」

「それは判らない」

「なんで判らないの?」

「だって、判らないから、判らないとしか言いようがないもん。」




 僕はもうたまらなくなって抱きしめる。
最初は激しく抵抗していた彼女も、段々と、その抗う力が弱くなってくる。

そりゃそうだ。
だって、僕たちは、朝から夕方まで延々とその攻防戦を繰り広げていたのだから。

お互いに、魂魄尽き果て、意識朦朧となりかかっていた。



 そこまで行くと、もうお互いに遠慮がなくなってきて、それまでの他人行儀な溝が埋まっていくのが判る。


「俺は圭子が好きだから、抱きたいだけだ。どこが悪い。」

「そんなこと言ったって、私、初めてなんだから。」


「嘘言え」

「嘘じゃないもん」



 
 ここまで来ると、お互いに笑いが込み上げてくる。
結局抱き合ってクスクス笑い合う始末。

お互いに神経が麻痺してたのかも知れない。


そこから先は至極自然にことが運んだ。


「初めて」と言った彼女の言葉は嘘ではなかった。

そして、「婚約者がいる」と言った言葉は嘘だった。

咄嗟に口をついて出た方便だったらしい。












 「なあ、俺、好きな子には呼び捨てにしてもらいたいと、ずっと思ってたんだ。だから、これからシローと呼んでくれないか。」

「いいよ、じゃあ、私のことはケイって呼んで。」


これが、僕たちの初めての意思表示の交換であって、その瞬間から蜜月が始まった。





 
 「ケイ、お腹すいたな、どこかへ食べに出ようか」と僕。

「うん、シローの好きなところへ連れてって」とケイ。

「よし、じゃあ、吉祥寺のサムタイムにしようか。ジャズ喫茶なんだけど、夜は飲めるんだ。」

「うん、行きたい」






 出会って15時間。
ようやく僕たちは、恋人同士になった。

そして、心底からお互いを愛おしいと思える、優しいkissを交わした。





 朝来た道を引き返す。

今は、あのときの緊張感や疎外感が嘘のようだ。

僕は全身でケイが好きだと感じていたし、ケイはそれをそっくりそのまま受け止めてくれた。


 このときからだ。
一緒に歩くときは、必ず僕の腕にケイの腕が絡まってなければしっくりこないという癖が始まったのは。



会社帰りの人の流れに逆流するように僕たち二人はうっとりと歩いていった・・・



 
【7】

 僕は、吉祥寺に住みたかったんだ。
高校時代、毎週楽しみに観ていた「俺たちの旅」というドラマの舞台が、井の頭公園だった。

だから、上京して二番目(一番目は新宿)に行ったのがそこ。
TVで観たのと同じ風景に感動したっけ。

吉祥寺が無理なら、井の頭線の反対側の終点である下北沢。
ここもなんとなく好きな街で、かなり不動産屋を回った。

結局、そのどちらも、僕の経済力では届かない家賃のところばかりだったから諦めたんだけど。


 吉祥寺にはジャズ喫茶も多かった。
井の頭公園とは反対サイドの北口を出たところに点在してて、僕がよく通ってたのが、アウトバック







地下にある狭っくるしいスペースに、どでかいスピーカーがある。
僕はいつもその前のテーブルに陣取って、薄暗い照明の下で、大音響に耳をジンジンさせながら、大江健三郎スタインベックの小説を読んだ。

どだい、読書には向いてない環境、最悪とさえ言える。
でも、何故かそうすることが一種ステータスだった。

また、そんな奴がごろごろしてたのが、ジャズ喫茶というところだった。
でも、僕の場合は、麻疹のようなものだったようで、今ではとんと通わなくなってしまった。

そんな僕でも、時々は覗きたくなるのが、サムタイムだった。
一番のお気に入りといってもいい。

だから、ケイと最初に行く店はそこでなければならないと思ったんだ。



 
 東高円寺から、新宿行きとは反対向きに乗る。
終点の荻窪で中央線に乗り換えて、二つ目の駅が吉祥寺。

その移動中、僕たちは、ほとんど抱き合うようにして電車の中に立っていた。
朝とは大違い。

僕たちは、多分、普通のカップルがとる行動の10倍くらいのスピードで親密になっていった。

残り時間を考えた神様がそうさせたのかも知れない。






 北口ロータリーを越えて、サンロードに入る。
二本目の筋を左に折れるとすぐそこ、右側に、僕好みのファサードが広がる。
狭い入り口だが、まるで、手を広げて僕たちを歓待してくれてるかのようだ。





地下への階段を降りる。
この短い行程が、別世界への露払いとなる。

ドアを開けると、そこはアーリーアメリカンの空間。
やや暗めの照明は、年季の入った椅子やテーブルを映し出している。

踊り場となった出入り口から、さらに階段を降ると、狭いステージがあって、そこが店の中心となっている。

その奥は中二階になっていて、テーブル席が広がる。
壁は煉瓦造り。

この立体的なデザインや、妥協のないディテールに僕はぐっとくる。

僕たちは二人がけのテーブルに陣取った。


「へえ、凄い。こんなお店があるんだね」とケイ。

「うん、俺の今一等好きな店さ」と僕。




 偉そうに言っても、ここを教えてくれたのは、学友で、まだ自分のキープボトルもない僕は、今夜は初めてキープしちゃおうと決めていた。
いつもは、サントリーの白札かニッカのブラック50なんだけど、今宵はカッコつけてカティーサークをオーダー。








僕のような貧乏学生には贅沢な代物なんだけど、スコッチの中でも異色な、軽めでまろやかなその味わいは、ケイにぴったりだと思ったんだ。

なんで味を知ってるかって?

それは、真野響子のカレンダーにつられて買った学友のご相伴に預かるラッキーがあったから。
その学友だって、普段はサントリーレッドかトリスなんだけど、散在させる魅力が真野響子にはあった。

勿論、僕もファンの1人だったが、今の僕にはケイしか目に入らない。







心地よいJAZZのシャワーを浴びながら、しどけなく酔っていく。
もう僕たちは、何年もつきあっている恋人同士のようだ。

実際は、まだ、出会ってから24時間も経ってないのに。


僕たちはだんだんと、離れたくなくなっていった。
このままずっと一緒にいたい。

その気持ちは僕の中でどんどん膨らんでいったし、ケイもそうだったに違いない。





こうして、僕たちの夜は更けていった・・・




【8】

楽しい時間は、あっという間に過ぎる。
そして、どんどん終電の時刻が迫ってくる。

僕は少なからず焦っていた。
このまま別れたら、もう次はないんじゃないか?

ケイは、変な男のペースに巻き込まれておかしなことになったなんて、後悔するんじゃないか?

そもそも、夏の夜の夢のような出来事なんだから、幻のようなもの?
事実、当の本人である僕自身が、まだ夢の中を彷徨ってる気分なんだから。


でも、いずれは帰らなきゃならないし、ずっとこのまま一緒にいる訳にはいかない。
う~ん、どうすりゃいいんだ。

ええい、ままよ。






 サムタイムを出て、吉祥寺駅に向かう途中で、僕はこう切り出した。

「送るよ」

「でも、遠回りになるから」

「いいんだ、だって、元々遠回りの続きなんだから」

「ホントだ。私、送ってもらう途中だったんだ」
ケイはそう言うと、如何にも楽しそうに笑った。




 中央線で新宿まで出て、山手線に乗り換えて一つ目、新大久保駅で降りる。
この区間は日本一距離が短いらしい。


「ありがとう。お陰でとても楽しかった。もう、すぐだから、今日はここで・・・」

ケイの言葉を遮るように僕は言った。

「ケイの部屋が見たい」

「え?」

「このまま別れたくない」

「でも、部屋、散らかってるし・・・」

「いいよ、一緒に片づけてやるよ」

「それは恥ずかしい」

「じゃあ、外で待ってる」

「・・・」

「・・・」





 深夜の新大久保の駅前で、僕たちの延長戦開始だ。

「わかった。じゃあ、そこの喫茶店で待ってて。大急ぎで片づけてくるから」
と、意を決したように告げるケイ。

「うん、慌てなくていいからな、ゆっくり待ってるから」
と、一安心の僕。

僕たちはその喫茶店の前で、一旦別れる。












 
 終夜営業のその喫茶店は、まるでそれのみがウリだとでもいわんばかりで、オーダーを取りにきたウェイターにも覇気がない。

まあ、いいや、どうせ僕だって、珈琲を飲みたくて来た訳じゃない。

通りがよく見渡せる窓際の席に座った僕は、取り敢えず新聞なんぞを読むフリをしてみるが、全然記事が頭に入ってこない。

そうなんだ、僕の頭の中は、もうケイのことでいっぱいで、他のことは入り込む余地がないくらいなんだ。


このままケイが来なかったらどうしよう。

アパートがどこにあるか知らないんだから、僕はそこから先へは一歩も進めない。

考えてみれば、ケイは、律儀に迎えにくる必要はない。
このままうっちゃっとけば、僕はトボトボ帰るだろう。
それで、後腐れ無く縁切りが出来る。

僕はこんなにネガティブな男だったんだろうか?
自分で自分が嫌になるくらい、マイナスイメージを思い浮かべてしまう。


恋は人をネガティブにする。
いや、恋は人の本質をレリーフする。






 30分が過ぎた。

もう終電も終わっただろう。

ま、いいや、来なけりゃ来ないで、始発の時刻までここで雑誌でも読んで帰ろう。

ここまででも充分だ。
楽しかったし、滅多に出来ないような経験をさせてもらった。
感謝しこそすれ、恨むなんてことは絶対にやめよう。
(おお、ポジティブ、やるじゃん、それでこそ僕。)

なんて、殊勝なことを考えつつ、腹の中では、まだ来ない、なんで?なんて、ヤキモキしている。
小さな男だ、僕は。

切ない恋は人を小心者にさせる。




・・・1時間が経った。





 終電も終わり、通行人もまばらになった通りをずっと眺めていた。
諦めたり、励ましたり、心の中で葛藤しながら。

相も変わらず、ボーっと眺め続けていた。






そこへ、ケイがふいに現れた!!
正しく、僕の網膜にフレームインしたんだ。


白いポロシャツに、赤いタータンチェックのタイトなパンツ。
着替えたんだ、とてもよく似合ってる。


ケイはガラス窓越しに、少し店内を探して、すぐに僕を見つけると、ニッコリ微笑んで手を振った。

なんて可愛いんだ。

僕は、これまでこれほど可愛い仕草の女性を見たことがない。
ケイの周りが、キラキラ輝いて見えた。


このときの瞬間の光景を、僕は恐らく死ぬまで忘れないだろう。
まるで一葉の写真のごとく。

この先、老いさらばえて、恋なんて遠い昔のことになっても、今宵のこのシーンだけは決して忘れない。

ハッキリ、そう意識した。



 僕は、急いで珈琲の代金を払って店を出る。
現金なもので、さっきのウェイターがいい奴に見えた。


「ごめんね、待たせちゃって」とケイ。

「いいんだ、新聞を読んでたから」と、嘘つきな僕。


ケイ、ゴメン。
もう絶対に君を疑わないから。




 ケイの住んでるアパートは、そこから数百メートル行ったところを右に折れて、百メートルくらい入った左手にあった。

そのまま、その道をまっすぐ20分ほど歩くと、ウィザードだと言う。

なるほど、随分遠回りして帰って来た訳だ。



 そのアパートは、出入り口が一つで、部屋が複数あって、便所が共同になっている。
ケイの部屋は、階段を上がった、二階の取っつきにある。

引き戸になっていて、入るとすぐに狭い台所がある。
その奥が四畳半の部屋で、正面が窓になっている。


お世辞にも綺麗なアパートとは言えないが、部屋の中は、女性らしく快適に整理されている。

結局、僕たちはこの日から、ここと、僕の部屋を頻繁に行き来する生活になる。



 
 この夜は、お互いにかなり疲れていた。

だって、出会ってからようやく24時間が経とうとしているが、その間、二人とも一睡もしてないのだから。

ケイが、僕を自分の部屋に入れてくれたことで、僕たちはもう完全に意志の疎通が出来ていた。

いや、ケイはとっくにそのつもりだったのに、僕だけがそれを疑ったのかも知れない。




 なにはともあれ、僕たちは、その夜、ひとつの布団で一緒に眠った。

確かに僕の隣に、ケイが息づいている。
その実感が何よりの充足感を僕に与えてくれた。

こんなにも好きな女性が今、隣で、寄り添うように眠っている。

これからはずっと一緒だ。
そんな暗黙の了解のようなものをお互いが感じていたんだと思う。


事実、それからというもの、僕たちは、笑えるくらいお互いを求め合った。
なんでこんなに好きになったんだろうって、不思議に思えるくらい。

愛されている自信も出来た。
愛している確信もある。


僕たちの生活には、二人が逢わない日があるなんて信じられなかった。
馬鹿みたいに寄り添っていた。

そんな、めくるめく毎日が続いた。



あの日までは・・・




【9】

 実は、僕には、長く遠距離恋愛をしているメグという女性がいる。

それを言い出せなくて・・・
迷っていた。


だって、そんなつもりじゃなかったんだ。
卑怯な言い方かも知れないけど、ケイとの出会いも、最初は、過去に何度かあった、刹那的なそれの一つに過ぎないと思っていたから。

いや、そんなにたくさんじゃない。
だって、離れている3年半の間に、3人だけ。
少しだけ親密になった程度のもので、それも長くはない。




 最初は、大学2年生の春、学友がセッティングした合ハイの人数合わせにつきあっただけのこと。
相手は、国立音楽大学の1年生グループだった。
奥多摩でハイキングをして、夜は、新宿のacbで飲んだ。

僕は極力大人しくしていたのに、たまたま送って帰る電車の中で隣り合わせた女性と話が合った。
それは、腰の辺りまで伸びた綺麗なストレートの黒髪が素敵な子だった。
そう、僕がこれまでつきあったことのないタイプなんだ。

山梨県出身で、豊子という名で、トコという愛称で呼ばれているのだと教えられた。


それまで過ごした半日の間、一度も会話を交わさなかった遅れを取り戻すかのように僕たちはどんどん喋った。
が、やはり時間が足りない。

だから、次の機会に話の続きをしようと、ごく自然に電話番号を聞いた。

 


 
 トコとは、その後何度か会った。

夕暮れ時の井の頭公園、夜の国立の喫茶店、昼下がりの国立音楽大学にほど近い彼女の部屋。

音大の生徒らしく、部屋にピアノがあって、荒井由美の曲を弾き語りしてくれた。
そのとき、特技を持ってるって、なんて素晴らしいことなんだと思った。

その点、僕はどうなんだろう?なんにもないんじゃないか?
そんな思いにも駆られた。



 最後は、僕の部屋。
東高円寺の前に住んでいた、幡ヶ谷のみどり荘というアパートの一室だった。

ある雨上がりの夜、当時僕がバイトをしていた、幡ヶ谷駅前の稲毛屋という酒屋を出て、踏切を越え、その向こうにある甲州街道を越える歩道橋を渡り切り、階段を数段降りたところだった。

後ろで咳払いをする声がする。
思わず振り返ると、最上段に傘を持ったトコが立っていた。

「どうした、もしかして待ってたの?」と僕。

「うん、ちゃんと話がしたくて」とトコ。


実は、僕はその頃になって、メグに申し訳ないという気持ちが働いてきたんだ。
だから、わざと連絡を取らなくなった。

というのは、トコの部屋には電話があるが、僕の部屋にはそれがない。
なので、僕の方から電話を掛けなければ、連絡の取りようがない。

それをいいことに、自然消滅にしようかと思っていたんだ。
考えてみれば、随分と勝手な話だ。




 それから、部屋に着くまでの道のりを、僕たちは無言のまま肩を並べて歩いた。
トコが僕の部屋に来るのはこれで二度目。

一度目は、新宿で合ハイに行ったメンバーと、再度飲んだ帰りに寄って、結局泊まって帰った。
僕のパジャマを着た姿がとても可愛かった。

でも、普通に一緒に寝ただけで、変なことはしなかった。
僕は、純粋だったし、トコは思いっきりウブだった。

しなきゃいいってもんでもないんだろうけど。



「もう随分、電話をくれないから来ちゃった」とトコ。

「・・・」僕は、どう言えばいいんだ。

「なんで電話をくれないの?」

「ごめん」

「謝られても困る」

「実は、田舎にステディがいる」

「・・・」

「このままいくと、君を傷つける」

「・・・」

「これまで言い出せなくて・・・」

「もう逢えないってこと?」

「うん・・・」



 それから暫く辛い会話と沈黙が続いた。
やがて、トコは意を決したように立ち上がった。

「さようなら!」

肩越しに最後の言葉を静かに放つと、ドアを思い切り締めて、トコは出ていった。

テーブル代わりの炬燵の上に、涙を拭いたティッシュを残して。



 我ながらひどいことをしたと思った。
でも、騙し続けることは出来なかったし、深みに入り込まない手前で修正したのは、浮気な僕のせめてもの誠意なんだ。

独りよがりと言われればそれまでだけど。


 その後、学友は二度と僕を合ハイ、合コンに誘わなくなった。




 次は、大学3年生の夏、いや、晩夏から初秋にかけて、というべきか。
東京の大学は、8、9月の丸々2ヶ月が夏休み。
その9月を丸々、北海道をヒッチハイクで一人旅をしたときのこと。

利尻島から礼文島へ渡る連絡船で一緒になった女性と、礼文島を歩いて回った。
肉感的で、フェロモンを撒き散らしている印象の女性が甲板に立って海を眺めていたので、つい声を掛けたのがきっかけだった。

札幌でバスガイドをしているらしい彼女は、勿論、その夜の宿泊先に予約を入れていた。

片や、僕は行き当たりバッタリの旅だった。
シーズン中なら出来ない芸当だけど、9月の北海道はそれが可能だった。

だから、同じ民宿に泊まることにした。
ついでに部屋も同じに・・・


札幌で再会の約束をして別れたが、結局、彼女は来なかった。

札幌ユースの電話口で、失意の僕の耳にどこからか流れてきたのは、「愛のメモリー」だった。



何枚か一緒に撮って貰った写真を送ってくれるという約束も果たされないまま、やがて彼女は僕の記憶から遠ざかっていった。

こういうのを、ゆきずりの女、というのだろうか。





 最後は、大学4年生の春、埴生荘に引っ越したばかりの頃、階下の女性と親しくなった。

五つ年上の社会人。
猫を部屋に飼ってて、愛飲する煙草はハイライト。
そして、僕はチェリー、kissをして煙草の匂いで負ける女性は、後にも先にも彼女だけだった。

しかし、個性的な年上の女性は、存外うぶだった。

これもやはり、メグへの気持ちが暴走を止めた。

やがて彼女は引っ越していった。




 初めからおかしなことにならなきゃいいじゃん。
そう、至極簡単で当たり前の理屈。

この理屈が、たまに、ホンのたまに通らないことがある。

結局、浮気な男なんじゃん。
それは否定出来ない。

でも、男なんてそんなもんじゃ?


ただ、僕は、移り気ではない。
たまにおいたもするけど、基本的にはメグ一筋だったし、ずっとそうである自信もあった。




 それを、覆してしまったのが、ケイだったんだ・・・




【10】

 ケイに対する思いが深まれば深まるほど、言いようのない罪悪感が僕の心を支配し始めた。

勿論、それはメグに対しても同じことだった。

ただ、決定的に違うのは、今、僕の隣にいるのはケイで、その上心底好きになってしまっていた。

本当に身勝手な男だと思う。
でも、それが本音なんだから、どうしようもない。


 ならば、思いに忠実に動く外はない。
「正直に打ち明けよう」
そう決心した。




 その頃の僕たちは、お互いにバイトを辞めたばかりで(奇しくも同じところを同じ日に)、夜ともなれば、どちらかの部屋に泊まって過ごしていた。

出会ってから約半月、季節はいよいよ夏本番を迎えるところに差し掛かっていた。







 お互いに、目の前の日々を過ごすことに精一杯で、その先の約束など何も交わしてはいない。

ただ、暗黙の了解のようなところはあった。
だからこそ、それを殊更に言葉にするのは、はばかるところがあったんだ。

ならば、それこそキチンとするのが筋だ。
それに胡座をかくのは、卑怯な男のすることだ。



 窓から涼しい風が入る、7月初旬のある夕暮れだった。
一緒に大和湯に行って、出る時刻を決めて合流し、その足で近くの酒屋の自販機で缶ビールを2本買う。

お互いに1本ずつ持ち、ケイがそれを頭に乗せて歩き出す。
僕のBVDの丸首Tシャツに、ジーンズ姿のケイ。
要は、男物の肌着にジーンズというごくラフな格好が、ケイにはとてもよく似合う。
勿論、僕も同じ出で立ち。
その仕草が可愛くて、僕もそれを真似る。

ケイと居ると、こんなごく小さなことが楽しい。
そして、いつも僕を新鮮な気持ちにさせてくれる。

決して裕福とは言えない僕たちのその頃の食卓には、よく素麺が乗った。
この日も、素麺とビールという、やや素っ気ないメニュー。
但し、スクランブルエッグ、そしてハムとキューリの千切りという薬味のお陰で、存外ビールは美味いんだ。


 黒柳徹子久米宏の「ザ・ベストテン」を眺めながら、僕はそっと切り出した。



「あのさ」

「ん、なに?」

「ん~と」

「なに、どうしたの?」

「実は、言っておかなきゃならないことがあるんだ」

「・・・」


「ずっと言おうと思いながら言えなかったんだけど」

「・・・」

「田舎に、つきあっている彼女がいる」

「え?」



「だから、彼女がいる。でも、俺はケイが好きだ」

「・・・」

「自分でもメチャクチャなのは判ってる。でも、この気持ちはどうしようもないし・・・ だからこそ、正直に話すべきだと思ったんだ」


「・・・」

「彼女にはキチンと説明して謝る。そして、ケイとちゃんと向き合いたいんだ」


「ちょっと待って」

「・・・」

「突然そんなこと言われても」

「・・・」

「ハイそうですかって、言えると思う?」

「・・・」

「そんな簡単なもの?」

「いや、そうじゃない。尊重したいからこそ正直に打ち明けたんだ」

「今頃になって?」

「・・・」

「兎に角、今夜は帰る」

「送るよ」

「いい!一人で帰る」




そう言い残すと、ケイは僕の部屋から出ていった。
そこには、まだケイの温もりがあるTシャツだけが残った・・・



【11】

 それから僕たちは冷戦状態に入った。
いや、僕の方は大いにケイが必要だったし、実のところヤキモキ、いや、ヒヤヒヤしていた。
このまま永久に逢えなくなることだってあり得る。
じゃあ、何のために告白したんだ、そんなことになるなら、いっそのこと騙し続けた方が良かったじゃないか、いや、それは違うだろ・・・

 そんな葛藤を繰り返しつつも、暫くの冷却期間がケイには必要だろうと判断した。
だから、ぐっと我慢した。
といっても、たったの二日だったけど。

 懺悔から三日目の夜、身勝手な僕にしては、精一杯の辛抱の挙げ句に、満を持して電話を掛けた。
ドキドキしながら・・・



「もしもし」

「・・・」

「ケイ?」

「・・・」

「まだ怒ってる?」

「・・・」

「何か言ってくれ」

「・・・」

「会いたい」

「・・・」

「これからそっちへ行く」

「・・・」

「ケイ?」

「来なくていい」

「どうして?」

「どうしても」

「行く」

「来なくていい」

「・・・」

「・・・」

「じゃあ、このままか?」

「わからない」

「とにかく行く」

「来なくていい」


こんなやりとりを繰り返して、僕はいてもたってもいられずケイの部屋に向かった。



 もしかしたら、ケイはもう部屋には居ないかも知れない。
ホントに会いたくないならそうするだろう。
一種の賭け、いや、「好き、嫌い・・・」といった花占いのようなものだ。

 その占いに従ってみるのもいいかも知れない。
そんな負け惜しみ的なことを考えながら、僕は歩いた。

 でも、実際にケイの部屋に灯りが点ってなかったら、僕はどんな心持ちになるんだろう。
それはそれで仕方ない、受け入れる外にしようがないじゃないか。
こういうのを自虐的というのだろうか。

 変に冷静な自分と、強烈にケイを求める自分とのせめぎ合いの中、いよいよケイのアパートが近づいてきた・・・