今年で開店44年になる【チュー太郎】のガスコンロは、多分現在2台目。
そいつがいよいよ使い物にならなくなった。
温度センサーが過敏に成り過ぎて、直ぐにとろ火になってしまうので、調理が進まない。
買い替えを検討した結果、『せや、あの昔のやつ、あれにしたろ』と引っ張り出してきたんがこれ。

温度センサーなんて洒落た工夫・仕組みのまだ無かった時代のそれ。
この方が火力も強いし、逆に便利だったりする。
火を使ってることを忘れさえしなければ(ま、これが怖いのだけど、そこは要注意して)。
実はこれ、両親が食堂を始めようと画策した頃に求めたもの。
いい機会なので、そいつについて書き残しておこう。
確か、私は高校生だったので、昭和48~49年頃か、父が母と二人でやらうと母に持ちかけて、準備をした期間があった。
父は昔からそうした癖があって、その都度母は慣れない商売をさせられる羽目になったものだ。
最初は、まだ三島は村松の借家時代。
父は、初勢という造り酒屋の番頭として勤めに出ていた。
私が3歳頃のハナシ。
自慢じゃないが、ワタシにはその頃からの記憶が残っている。
その借家は、商売が出来るやうな土間の奥に居住スペースがある間取りだった。
その土間に太鼓饅頭(新居浜では大判焼きと呼ぶ)の焼き機を据えて、母が作り、売っていた。
勿論、あんこも手造り。
素人ながら良くやったもんだと感心する。
次は、土居でのこと。
父が求めた土地と家屋は、元瓦職人のものだったと聞いている。
土居高校の正門を背にして、奥へ入っていくと、今は水路になっている小川があって、その河畔にある、300坪程の土地。
現在の地図で言えば、なんとかアリーナの真裏に当たる。
今は文筆されて、5~6件の住宅が建っている。
私は、まるでトトロの庭を彷彿させるここに住んでた頃が懐かしくて、中坊の頃から何度か独り自転車に乗って尋ねたものだ。
だからその変遷もこの目で見てきた。
詳細は、過日書き残しているので、ここでは割愛する。
と、ここでタイムリミット。
これから、チューパル定例会なので、調理の続きを。
して、明日は定休日。
酒小売組合総会の議事進行役やら何やら、やること山テンコ。
なので、この続きは明後日以降かな・・・
続きでごじゃる
毎日、自画像を、どんだけナルくんやねん、と、お思いでせうが、ワタクシメ、数か月前にこう思うたんです。
「よう生きても後20年、なんなら10年かも知らん、なら、そのおじいの風貌の老い行く変遷を毎日上げてみたらどないやろ?」
こないな思いで、こないなハズいことを繰り返しており申す・・・
2026.02.23.mon 16:55

