例えばこんな【4】
何か挨拶を・・・とも思ったが、やめにした。
だって、僕の方は彼女の存在を(噂だけとはいえ)知ってても、彼女にとっての僕は全くの初対面だし、どうせその場限りの刹那的な出会いでしかない。
いや、出会いというほどのものですらなく、大勢いるお客さんの中の一人にしか過ぎないのだから。
やがて、店の看板の灯は消され、ポールシャッターが下ろされる。
山崎と天野以外のスタッフは全員帰って、3人でビールやおつまみを準備する。
勿論、ビールは店のもので、小瓶なんだけど、何本も並べている。
おつまみは、どうやら厨房にお願いして作ってもらったようだ。
「おいおい、勝手に飲んで大丈夫なのか?」と僕。
「いいんだ、チーフの了解をとってある」と山崎。
「そんなことよりさ、飲もう飲もう」と天野。
「じゃあ、遠慮無く」と僕。
「どうよ、西山さん、可愛かっただろ!?」と山崎。
「そうだなあ・・・」と言いかけたところに、通用口のドアが開いて、彼女が入ってくる。
きょとんとしている僕に、「誘ってみたんだよ!」と天野。
「さ、西山さん、こっちに掛けて」と山崎。
ぴったりめのスリムパンツに、ゆったりとしたダンガリーシャツがとても良く似合ってる。
さっきの制服姿も清楚で綺麗だったけど、打って変わって私服は活き活きとしていて、彼女の伸びやかな心を顕しているかのようだ。
『ヤバイ、惚れてしまいそう』
と、心の声。
ポカンとしている僕の隣に彼女を座らせて、山崎は天野の隣に陣取る。
4人がけのテーブルに、僕と彼女が並んで座り、その対面に天野と山崎が座る。
恋のライバル同士の駆け引きがそういう布陣に自然としたのだろう、多分・・・
「こいつが、例の西村」と、山崎が彼女に僕を紹介して、
「この人が噂の西山さん」と、天野が僕に彼女を紹介する。
「初めまして、お疲れさま」と僕。
「さっき、お会いしましたよね」と彼女。
「え?知ってたんですか?」
「ハイ、お二人から送別会をするから、参加しないかって、さっき」
「そうか、じゃあ、ちゃんと挨拶すべきでしたよね。ごめんなさい」
「いえ、こちらこそ、人見知りがちなもので、すみません」
そこからは、山崎と天野が加わって、ワイワイガヤガヤと楽しい宴になる。
ただ、僕は両方の進展具合を知ってるが、それぞれは内緒にしているようで、微妙なバランス関係の上に成り立っている。
それは結局、僕を中心に話題が展開するという図式を作り上げる。
どうやら、僕が彼女の話を聞かされていたのと同じように、彼女も僕の存在は、二人から聞いて知っていたようだ。
「偶然、服がお揃いですね」と彼女。
「ホント、おかしいね」と僕。
実はこの日、僕も全く同じ出で立ちだったんだ。
少し違うのは、僕の方はストレートパンツだったということだけ。
「ペアルックみたいじゃん、それに名前も似てるし」と山崎。
「うん、お似合いのカップルだよ」と天野。
心にもないことを、と思いながら、その微妙な牽制具合が微笑ましい。
あっという間に時は過ぎ、気づけば、もう6時。
「そろそろお開きにしようか」という天野の一声で、みんなで片づけを始める。
「じゃあ、俺たち着替えてくるから」と山崎。
「西村、また会おうな」と天野。
この二人の微妙な牽制が、僕たち二人をすんなりと先に帰すことになる。
セコンドに誘われなかったら・・・
僕が店に戻らなかったら・・・
山崎と天野が送別会を開いてくれなかったら・・・
そして、その二人の、恋敵という牽制がなかったら・・・
いくつもの偶然が重なって、僕たちは出会った。
通用口から外に出ると、すっかり夜が明けている。
左に曲がれば新宿駅。
「あの、私、こっちですから」と、彼女は右に曲がろうとする。
「え?駅に行かなくていいの?」
「ハイ、20分ほど歩いたところにアパートがあるんです」
「そっか、じゃあ、送るよ」
何が『じゃあ』なんだろうと思いながら、僕も右へ。
ここで、「いえ、結構です」と言われたら、素直に「そう?」で済んでただろう。
「え?でも、帰りが大変でしょ」と彼女。
「いや、散歩がてらにちょうどいいから」と僕。
初夏の朝日が目に眩しい。
通りに出されたゴミをカラスがばらしてついばんでいる。
もう既に少し臭いはじめてるそれらが、繁華街新宿の朝帰りを実感させる。
雀がチュンチュンと鳴く幸せな朝だ。
僕はこのとき『この朝の光景は、多分死ぬまで覚えてるだろうな』と感じていた。
まっすぐ行けば新大久保に出る。
そこで、ふと思い立った。
「ねえ、中央公園に行ったことある?」
「いえ、ないです。」
「一度行ってみたいと思ってたんだけど、行ってみない?」
「今からですか?」
「そう今から」
「う~ん、なんだかペースくるっちゃうなあ」
「いいじゃん、行ってみよ」
「よし、いこっか」
二人揃って進路を左へ。
これが、僕たち二人の逃避行の始まりだった・・・
