父が母にさせた仕事の続き。
転居した先の土居の土地は、割と広かった。
恐らく300坪程度はあったのではないか。
なので、そこに父は養鶏舎と借家を3軒建てた。
当時、宇摩郡では養鶏が流行っていた。
しかし、歩合制の給料で飲料会社の販売員として、東予一円をテリトリーとして飲料製品を卸して回る仕事の為に、朝早くから夜遅くまで出てたから、必然として養鶏の仕事は母にお鉢が回ってくる。
その光景を私は今でも覚えている。
コンクリートミキサー、あのガラガラと回る機械の中に青菜や貝殻や糠などを入れて攪拌すると、鶏の餌が出来上がる。
そいつをバケツに入れて、鶏舎のゲージに取り付けた雨樋に均等に移してゆく。
するとそいつを鶏が食うという図である。
楽な仕事ではない。
でも母は毎日頑張っていた。
ただ一点のみ、母がどうしても出来なかったのは、ゲージに首を挟んで窒息死した鶏を取り出すこと.
それだけはどうしても出来なかったので、父に任せていたということを後年聞いた。
さもありなむ。
やがて、父は外交では埒があかん、そして、商売するんなら土居ではあかんと、新居浜に転居することを決める。
私が小学一年生の頃だ。
その転居先が、現在の【チュー太郎】の土地。
と、ここまででタイムリミット。
けふはこれから近所のわかいし達との呑み会。
そろそろ準備しなければ。
書きながら、懐かしさのあまり落涙しさうだ。
両親は、本当に頑張った、と思う。
それは、不肖の息子でも分かる。
だから、せいぜい、それを書き残しておこうと考えている。
家族の参考の為にも・・・
毎日、自画像を、どんだけナルくんやねん、と、お思いでせうが、ワタクシメ、数か月前にこう思うたんです。
「よう生きても後20年、なんなら10年かも知らん、なら、そのおじいの風貌の老い行く変遷を毎日上げてみたらどないやろ?」
こないな思いで、こないなハズいことを繰り返しており申す・・・
2026.02.24.tue 22:15

