「満たしたい」という欲求は、「自分」という器があると思っているところから生まれる。
でも、あらゆる存在の本質は「からっぽ」だから、いくら取り入れても満たされようがない。
人が何を得ても、どこかに満たされなさを感じてしまうのは、ものの道理だ。
タオを生きる人には「自分」という器がない。
だからこそ、「満たされなさ」と無縁なんだよ。
第15章 混乱のときほど、くつろぎを
この、「自分」という器とは、自我のことか?
人は、この自我にコントロールされて喜怒哀楽する。
モチベーションだって、自我の最たるものだ。
じゃあ、「やる気」スイッチを入れるなってことか、いや、そもそも、そんなスイッチは無いんだと。
「やる気」は必要ない?
それこそが明鏡止水の境地?
これがまだ腑に落ちてこない・・・
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