なんとなくニーチェを学びたくなった。
けど、ニーチェを調べてみると、哲学のどの辺りに位置する人なのかすら理解してない自分に暗澹たる思いになる。
確か、大学時代、カントの「純粋理性批判」を囓ってはみたものの、見事に挫折した記憶もある。
哲学書というものは、往々にして、抽象的な表現の羅列となる。
従って、その抽象的な単語が頭の中で理解出来ないまま読み進めると、何が何だか訳が判らなくなってくるのである。
勢い、目は字面を追っているが、情報は一切脳に伝わってこないという、誠に情けない状態に陥る。
読書において、これほど屈辱的なことはない。
いや、それはもう既に読書と呼んではならない行為なのだ。
試しに、「純粋理性批判」の序文を少し貼り付けてみよう。
以下引用ーーーーーーーーーー
我々のあらゆる知識が経験から始まることは疑いがない。なぜなら、我々の認識能力は、対象となるものに出会わないで、どうして働き出すだろうか。対象が 我々の感覚に働きかけて、一方でそのイメージを作らせ、一方で知性の活動を喚起してその様々なイメージを比べさせたり、組み合わさせたり、分離させたりし て、その結果、感覚の印象から来た生の素材を知識に作り変えるのである。この知識こそは経験と呼ばれるものである。
したがって、時間的な順序で考える限りは、経験に先立つ知識などあり得ないことになる。つまり、経験によって全ての知識は始まるのである。しかし、全ての知識が経験によって始まるといっても、我々の全ての知識が経験の中から生まれてくるわけではない。
なぜなら、我々の経験による知識は、外から受け取る印象と、(その感覚的印象によって喚起された)我々の認識能力がもともと自分自身で用意しているものが合わさって、はじめて生まれてくるものである可能性が高いのである。
この我々の認識能力が用意しているものと元の素材との違いは、そう簡単には見分けられず、そこに注目してその違いが分かるようになるには長年の訓練が必要だろう。
これが本当にそうなのかはよく調べてみないと分からないし、とても簡単に答えられないことである。いったい、経験にも感覚的印象にも依存しないような知 識が存在するのだろうか。そのような知識は、経験によって後天的に生まれた知識である経験的知識とは区別して、先天的知識と呼ばれている。
しかし、先天的知識というだけでは、我々の問題が意味することを充分正確に表しているとは言えない。なぜなら、我々は経験から得た知識であっても、その 時には直接経験せずに常識で考えて分かったことを、「そんなことははじめから分かっていた」と言いがちだからである。しかし、常識は経験から手に入れたも のにすぎない。
例えば、家の土台の下に穴をあけたために家が倒れた人がいると、そんなことはあらかじめ分かるはずだ、つまり、家が実際に倒れるという経験がなくても分 かるはずだと言うだろう。しかし、その人が前もってそのことを知らなかった可能性はある。なぜなら、そのことを前もって知っているためには、少なくとも、 物体には重さがあって、支えがなくなると落下するということを経験を通じて知っていなければならないからである。
したがって、我々が以降において先天的知識と言う場合は、特定の経験に依存しない知識ということではなく、どんな経験にも依存しない知識を意味するもの とする。その反対が経験的知識であり、経験を通じて後天的にしか手に入れることのできない知識を意味する。そして、先天的知識のうちでも、経験に依存する 要素が少しも混じっていないものを、純粋な知識と呼ぶことにする。
たとえば、「あらゆる変化には原因がある」という命題は、先天的ではあるが純粋ではない。なぜなら、この命題の中の「変化」という概念は経験によらなければ手に入らないからである。
ーーーーーーー以上引用
ホラ、なんとなくイライラしてこないだろうか?
これが哲学書の宿命なら、それを甘んじて受け入れる覚悟がまず必要になる。
そして、その心境に至る爲にも、薄ぼんやりとでもいいから、まず、哲学というもの自体を理解する必要があるのではないか?
てことは、各論に入る前に総論から学ぶ必要があるということなんじゃないか
で、更に調べているうちに西田幾多郎という哲学者に行き当たった。

「いくたろう?」
「きたろう?まさかね」
そのまさかだった。
終戦の年に亡くなっている。
図書館の目録を調べて見た。
すると、発行年が1900年初頭で、値段が3円だったりするものもある。
これはこれで大いに興味がある。
しかし、まず読んでみたいのがこれで、図書館の目録には無かった。
それと、レビューによれば、「判りやすい表現で書かれてある」とあるのに惹かれた。
![]() | 哲学概論 |
| クリエーター情報なし | |
| 岩波書店 |
結局、古本を取り寄せることにした。
ちゃんと読むだろうか?
もし読了して、なおかつ興味が残っていれば、図書館のその時代物を手にしたいと思っている・・・

