
今朝の我が家の桜桃。
この春二人の息子が就職する。
長男は大阪の会社で西宮勤務、次男の会社は全国に営業所があって、取り敢えず地元のそれに配属される予定だという。
長男は通った専門学校が大阪だったので、何の心配もない。
次男にしたって、暫くは自宅通勤だから問題ないのだが、入社式と、オリエンテーション参加の為に本社のある東京に出向くことになっている。
それを想像すると、過保護の意識はこれまで持ったことのない私でも、心許ない感じがする。
自分のときは平気でどんどんやってきたが、それが子供のことになると、心配になるのが、もしかすると親心というものなのかも知れない。
まあ、心配せずとも息子たちは自分でやっていくのだろうが。
当たり前だ、就職なのだから、自分でやれなくてどうする(笑)
そんなこんなで、自分が上京したときのことを思い出した。
修学旅行、受験、そして進学と、3度目の上京のときのこと。
丁度、今くらいの時期だった。
朝日新聞の奨学生制度に応募した私の配属先は、練馬区中村橋という場所。
事前に何かの地図でどんなところか確認してみると、でっかい団地(光団地だったっけ?)、もう忘れてしまったが、とにかく地図のスケールから類推すると、マンモス団地だろうと思われるものだけが目立った記憶がある。
実際はそこから少し離れた場所だったから、ついぞそのマンモス団地には足を踏み入れることはなかったが。
上京することが決まってから私がしたことは、初めてブレザーなるものと、新しい革靴を買ったこと、それだけだったように思う。
ブレザーの方はどんなものだったかすら覚えてないが、革靴の方は、今でも残っている。
というのも、それを履いたのは数えるほどで、痛んでないから捨てずにおいていただけのことなのだが、後年よく見るとVAN製で、今となっては懐かしいからそのまま保管している。
ただ、履こうとしたこともあったが、どうもピンとこないデザインなのである。
そう、要はセンスのかけらもない田舎のあんちゃんが着慣れないブレザーを羽織って、わけのわからない革靴を履いて東京さに出ていったという図なのである。
入学式に間に合うようにそれぞれの地へ行けばいい同級生達より一足早い旅立ちのため、仲のいい友人達と、車で送ってくれた父親に見送られて新居浜駅を後にする。
後年、父が語ったところによると、その昔、貧しかった実家の兄がまだ小さいのに奉公に出ることになって、それを見送ったときのことを思い出して切なかったらしい。
事実、友人達の後ろで涙を流している父の姿が今でも脳裏に浮かぶ。
故郷、家族、友人、それらみんなと独りだけが離れる感じがして切ない心持ちで新居浜を離れたのだが、すぐにこれからのことの方に心は転じた。
我ながら立ち直りが早い(笑)
当時は、東京まで行くのは半日仕事だった。
予讃線2時間、宇高連絡船1時間、宇野線30分、東海道新幹線5時間。
待ち合わせ時間を入れれば10時間近くはかかる。
朝、新居浜を発って、夕方東京駅に着く。
そして、事前に調べた通りに電車を乗り継いで、初めての地、中村橋の駅に着く。
自分でも信じがたいが、目的地の最寄り駅までは判ってても、目的地そのものをよく理解しないまま現地に出向いた私には右も左も判らない。
兎に角、踏切の向こうの大通りに出る。
確か、通称十三間通り。
すぐに交番が目に付く。
ラッキーてな具合で道を尋ねる。
若いお巡りさんだった。
丁寧にその場所を教えてくれた後、明らかにお上りさんの格好の私を見て、これからここに住むのかと尋ねてきた。
そうだと答えると、頑張りなさいと励ましてくれた。
もしかすると、これが東京での初めての人間らしいふれあいかも知れない。
販売店に辿り着いて、自己紹介をして、自分の部屋に案内される。
4階建ての古いノッポビルの3階にあるそれは、どうみても3畳。
その大半を二段ベッドが占める。
田舎の土地感覚からすると、クラっときそうな狭さだった(笑)
そして、私が次にしたことといえば、
所長に、近くの布団屋を教えてもらって、自分の布団を買いに行くということ。
時代背景がそうだったのか、はたまたうちの両親が呑気だったのか、お金さえ持ってればどうとでもなるという感覚だった。
田舎で買おうが、東京で買おうが布団は布団。
ならば運賃が無駄になるだけだから現地調達が合理的というのが、私達親子の考え方だった。
だが、布団店を営んでいる同級生の話によると、こちらで一式揃えて送るお宅が多いようである。
当時もそうだったのだろうか。
とすれば、うちは先進的だったのかも知れない(笑)
とはいえ、母は時々何かを送る便に酒の類も同梱してくれた。
その中にはビール券や清酒券もあった。
あるとき、金陵というメーカーの清酒券が入っていて、それを酒屋に持っていったら、うちでは交換出来ないと言われた。
あの頃、若林豪のCMがTVで流れていたから、月桂冠並に全国レベルだと思っていたのだが、そうではないことに気づく。
田舎の酒屋は、そしてその馬鹿息子はそんなことも知らなかった(笑)
でも、新宿から代々木に向かう電車の窓からビルの屋上にでっかい金陵の看板はあったんだけどなあ・・・

