我が新居浜市の秋祭りは、或る年から、10/16~18と固定された。
私が小学生の頃は、地域ごとその日程が違っていて、親戚の多い友人などは、祭りが一週間続くなどと嘯いていたものだ。
それが、曜日に合わせたものだったか、飽くまで日にちによるものだったかについては、確たる記憶が無い。
ともあれ、我が垣生地区は、16~18日だったのではないか?
となれば、それは、定点観測の様相を呈する。
すなわち、最終日の10/18は、浮島八幡神社がフィナーレの会場。
そこを60年余り見続けてきたからこその時の移ろいを懐かしく想う。
私が小学生の頃は、とても賑わった。
女性の大半は晴れ着であったし、毎年、うさぎの風船が、子供の手を離れ、秋空にぷかりぷかりと浮かんだ。
そいつの数を数えるのがいつもの我々の個人的行事のようなものだった。
それから半世紀、その様相も大きく変わった。
一言で言えば、寂しくなった。
あの頃は、年に数度しかない贅沢な時の一つであったそれが、ただの年中行事の一環と成れ果てた。
システマティックにはなったが、情緒がなくなった、ように思う。
ま、ロートルの愚痴と思って貰って構わない。
翻って、69歳になんなんとする私にとって、もう長い間、祭りは面倒くさいものだった。
なぜなら、それは、すべきことが増える期間だから。
稼ぐべき時にちゃんと稼ぐ、こいつが命題であったからだ。
それも、ここまで零落したら、その崖っぷちの気負いすらやんわりと消えてきたのである。
なら、愉しめばええやん、遊んだらええやん、オマエ、と、良いのか悪いのか判らない心境に変化してきたのである。
ここまで、いいだろうか?
その上で、今年のハナシ。
いつも、ひと月以上前には、回覧でかき夫募集の告知があるのに、今年はどうしたことか、その記憶が無い。
結局薬局、法被の申し込みをしないままだった。
『ま、ええか、さういう歳でもないし』と思っていた。
すると、若いしの何人かが「持ってきますよ」と言ってくれたので、甘えることにした。
するとやおら、最終日の宮入だけはどうでもでんとアカン、と思い始めたのである。
そして、三つのオモロイことが私の面前に現れた。
酒の宝島を15時過ぎに閉めて、八幡神社へ向かうその手前、チュー太郎のお客さんから始まって、年下の友人として懇意にしているお宅の庭で酒盛りしている気配。
ふらふらと引き寄せられるように合流。
その後、いよいよ宮入の時刻。
勿論、フツーに考えて、さういう歳でないことは承知している。
だが、その場に身を置くと、血がたぎる。
そして、普段出せない声と力が漲ってくる。
社殿を半周する地点で、かずおの顔が見えた。
このブログを辿ると、もう既に6年前のこと。
(敢えて、そのリンクは表示しない、かといって、削除もしない、ただ、そうした事実があったというだけのこと)
ちょっとあって、対立関係にあった自治会の後輩だ。
思わず「かずお、入れ」と、彼の法被の肩を引っ掴んでかき棒に引き寄せた。
入場を終えた後、「入りづらかった、よぉ、引っ張り込んでくれた」と。
もう、これで、和解だ。
私はさう決めた。
「ほんなら、あとはアキラやのぉ」
というと、「そこにおるがな」と。
なんと、直ぐと隣にそいつはいた。
「顔変わったんちゃあうか?」と。
もうこれで、祭りは引退しても良い気になった。
そのくらい清々しい気持ちになった。
これが、その一つ。
二つ目は、ギャラリーの中に幼馴染の女子がいたこと。
彼女は、ごく近所の同級生で、小学校から高校まで一緒だった。
朝、登校して、浮島小学校の二階にある教室へ上がる階段の踊り場で、何人かの女子に捕まえられて「これの名前わかる?」と、見たことのない花を突き出されて、「しらん」と答えると、「正解」と大笑いする。
その中の一人だった。
既にご両親は他界され、東京在住の彼女は、家守の為に、月に一度帰省しているとのこと。
「かばさん(その頃の私のあだ名)が見えたけん、撮影したよ」と。
ならばそいつを頂戴、ならばLINE交換、と、思わず旧交を温めることとなった。
そんな流れで、明日は二人同級会をやろうということに。
三つ目は、ここには書けない。
問題がいくつか、ん?いっぱい?あるかも?
切ない、悔しい、けど、グっと自制しなければならない、そんな思いはいずれ、小説の中に紛れ込ませたいと思っている。
まそれもこれも、この歳になっても、それなりにオモロイ10/18だったぞな・・・

