今朝、店番をしながら聴くとはなしに聴いていたradikoから流れてきたのは、ある大学の入学式会場の様子だった。
現役なら18歳、浪人ならそれにいくつかプラスした若者たちが、溌溂とインタビューに応えていた。
文字通り、我が世の春を謳歌している様子が伝わってきて、こちらまで微笑ましくなる。
その会場は、言わずと知れた日本武道館、恐らく、在京の大学のほとんどはそこでやるんじゃないだろうか。
翻ってボクのハナシ。
1975年3月末、明治大学法学部法律学科になんとか引っ掛かって、花の東京で暮らし始めた頃。
ただ、ボクは突っ張っていた。
合格が判った瞬時、父親にこういった。
「おやっさん、オレ、働きながら大学行くけん」
それは、別に我が家が貧しかったからではない。
父親は頑張った、そして、それなりの資産を持った、それは十分に認めている。
だけど、単純に思いつきで、浪人になろうが大学生になろうが当時購読していた学研の高三コースの綴じ込み葉書にあった【朝日新聞奨学生制度】にトライしようと決めていたから、ただそれだけ。
ただ、今思うに、もしかしたら、長男として、まだ下に三人の兄弟を抱えている状況を斟酌したという心境がままあったのかも知れないが。
そんな経緯から、ボクは入学式の頃には、いっぱしの新聞配達員として働き始めていたんだ。
そして、その日、せっかくだからと、武道館に出向いた。
勿論、独りさ。
ええ歳して、父兄同伴なんぞ、あり得ん。
だって、上京の折りにも、バッグ一つだったんだから。
50年前だって、まわりの同級生たちは全て親がかりだった。
下宿探しから、荷物送り、布団なんぞも四国から送ったハズさ。
でもボクのオヤジはフランクだったね。
「金さえありゃなんでも揃う、特にトーキョーなんやけんのぉ」
こんな人だったから、独りでヒッチハイクに出ることも許してくれた。
最初は中坊の頃、チャリで四国一周すると宣言したとき、こう言った。
「困ったら電話してこい、なんとでもしてやるけんの」と。
その計画は、我ながら無謀の極み、毛布と米と缶詰と固形燃料とコッフェルだけを積んで、夜は小学校に泊めてもらうつもりだった。
今思えば当たり前のことなんだけど、そんなことが許される筈もなく。
最初にトライしたのが、大洲のとある小学校の春休みの職員室。
結局、そこにいたある先生に紹介してもらった近くのお寺に泊めてもらうことに。
そこから順に知恵がついてきて、最終的にユースホステルとの取っ掛かりが出来ることになるんだけど。
ずっと春の雨に祟られた行程の二日目、宿毛まで辿り着いたはいいが、学校もお寺も見当たらない。
おまけに夜のとばりが降りてくる。
雨中の公衆電話のダイヤルを寒さで悴む指でジーコジーコと回して自宅に電話すると、母親が出て、親父に代わる。
「どしたんぞ」
「おとうちゃん、泊まるとこ見つからん」
「ほうか、今どこにおるんぞ」
「宿毛」
「宿毛のどのへんぞ」
「近くに駅が見える」
「ほうか、ほしたら、そこ行って、観光案内の窓口探せ」
こうしてボクは初めて国民宿舎なるものに泊まることになった。
事程左様に、我が父親ながら、大したもん。
実のところ、その後、お互いに元気闊達だった頃は、事あるごとにぶつかってた。
なまじ、理屈が立つだけに、親父を論破してみたり。
でもさ、ゴメン、おやっさん、あなたが正しかった。
あなたは偉大だ。
ボクはこの歳になって、素直にそれを認める。
もう遅いけど。
あっちで謝るよ。
こんなだから、入学式に独りで出向くなんぞ当たり前のこと。
新聞配達を終え、朝食をいただいた後、着慣れないジャケットなんぞを羽織る、靴はVANのそれ。
さう、上京した時のおのぼりさんそのままのかっぺスタイルさ。
新居浜にだって、当時VANやジュン?(ヨーロピアンはよぉわからん)はあった。
確か、今は廃れてしまってるが、銀泉街というアーケド通りにあったのではなかったか。
我ながらぎこちない。
記憶は定かではないが、多分、当時は国鉄中央線のお茶の水駅で降りて、九段坂を下りた先、靖国神社の向かい、北の丸公園の中にそれはあった。
初めて足を踏み入れる武道館、それだけで、ちょっとコーフンする。
見渡せば、父兄同伴のお子ちゃまがかなりいる。
「おまえら、大学生やろが」
と、心の中で毒づいてみたりする。
ま、今よりはずっとマシだけど。
今の親子関係は、ここだけのハナシ、ボク的には気色悪い。
あんなやから、碌なものにならんのや、と密かに思うておる。
ヨーするに過保護なんだ。
と、ここで敢えて忖度しておかねば、コンプライアンス云々言われかねぬ。
なので、独り言ちとして貰いたい。
と、ここまで書いて、我ながら、なんと横道逸れノ介なんだろう。
で、こう締め括ろうと思う。
かくのたまう我、大したことないやん。
全くの体たらく、のたうち回っている状態、それが常態。
なので、それらを否定する資格はない。
ただただ、懐かしい。
そして、そんな生を与えてくれた先人に感謝するのみ。
なので、今ここ、を生きていく。
なんだか、こんな締め括り方が多くない?我・・・

