
チュー太郎で本を読むときは、こんな感じでピンチを利用する場合が多い。
今宵もそうして、文字を目で追いながら、空いた両手で指輪をいじってた。
薬指から抜いたものを小指に入れてみたり。
たまに眺めてみたり。
というのも、ことの経緯はそちらに譲るが、行方不明から数年ぶりに出てきた指輪の存在感が、私の中で以前より増しているせいもあるのだと思う。
そんな流れの中で、ふっと脳内に浮かんだ物語を書いてみようかと思い立ち、ならばと撮影を試みてるときに、手から零れ落ちたそれが、また行方不明になった。
『なに、今度は足元に落ちたことはわかっとるんやけん』と、高を括りつつも、内心、『また行方不明になったりして』という微かな不安も抱えつつ、スマホのライトを照らして探す。
が、ない。
椅子の周りを隈なく探し、移動式の引き出しもどけてみるが、やはりない。
『嘘やろ』
今度は懐中電灯を持ち出して、同じ場所を更に入念に探すも、やはり、ない。
微かな不安が的中?
まさか、また消えるのか?
『落ち着け、指輪は転がるもの』
と、更に捜索の範囲を広げる。
こうして、汗をかきかき、30分?
そいつは、5mほど離れたテーブルの下に隠れていた。
ホっとする反面、一体全体、なんなんだこの指輪!

その内側には【1984.2.18.FtoY】との刻印がある。
要するに、39年前に我が薬指にはまったもの。
私は27歳だった。
27+39=66
誕生日は5.19.なので・・・
10月の現在は67歳。
うん、計算は合う。
思えば、長く生きてきたものだ。
そろそろ覚悟せねば。
というハナシは置いといて、指輪のハナシ。
行方不明になるまではずっとはめてたのだから、少なくとも30年余りは私と一心同体だった。
てことは、その前年にオープンした東京ディズニーランドにもバリ島にも一緒に行ったということ。
色んな場所、色んな出来事を共に過ごしてきて、曲がりなりにも現在、こうしてまた我が薬指に落ち着いている。
でもそこでふと思ったんだ。
もし、あの時、飛行機が落ちてたら?
そして私の命が消えてたら?
この指輪はどういう運命を辿ったろう。
一番想像し易いのは、私の骨が入った骨壺の中に一緒に落ち着いている?
すると、法泉寺裏の河端家の墓の下か?
いや、その頃、まだ墓は建ててなかった。
それに、遺体がバラバラだった場合、私の左手は見つかるだろうか?
それが海だったとしたら?
となると、この指輪くんは今頃、南海の深い海底の砂の中か?
もし、パラレルワールドがあるとしたら、そんなこともあるのかなあ。
いや、もっと言えば、そうした様々な過去も未来も一緒くたに存在しているのかも知れない。
私が今こうして生きている、という映画は、それらのごく一部で、私だと思い込んでる何かが、この瞬間、それを見てるだけなのかも知れない。
全ては幻。
最近、こういうところに帰結する思索が増えてきた。
根拠は一切ないのだけれど・・・
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