宝島のチュー太郎

20年続けたgooブログから引っ越してきました

    冬でも生のまま舐める、店主はそれが好き

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破れ星、流れた



 今朝はメッキリ秋めいた。
カブで走れば、湿度の低さと爽やかな風に癒された。
ぼんやりと小学生の頃の運動会を思い出す。
そいつが、荒んだ心を少しだけ慰めてくれる。
やはり、自然はありがたい。

 お陰で、いつもの定位置でPCをいじれるようになった。
店のスピーカーからは【オフコース】の曲たちが。
こうして昔とシンクロしながらの朝。

 寂寥と自己欺瞞の最中(さなか)、それでも生きてゆく。
もう、多くを語るまい。
全ては身から出た錆。
自分を責め続けても得られるものは無い。
反省すべきところは反省して、そこんところを遣り直す。
いつだって、人は変わることが出来る、そうだろ?
これからは、足場をしっかり固めて、孤高を目指そう。


 さて、本題。

先に投稿した破れ星、燃えたと対を為す本。
順番的には逆なんだが。

 半分強は戦争体験、そして後半分弱は大学からニッポン放送への就職、そして、脚本家としての独り立ちの頃を書いている。
私は、彼の書いたドラマをほとんど観てるので、その体験が作品に大きく反映されていることが判る。

 例えば、疎開先の岡山県金光での山の体験は、【安らぎの郷】のスピンオフ的作品として放送された【やすらぎの刻(とき)~道】の中に色濃く滲み出ている。

そして、父親に対する郷愁や愛情、これは200ページの、
『昔の、強い・・・父さんでいてください。』
『子供に遠慮なんて・・・しないで下さい!』
という表現で充分に伝わってくる。
実は私自身が、亡父に対してそうした心境で過ごしてきたので、こうしてキーボードを叩きながらも涙が溢れてくる。
これは、【前略おふくろ様】の中で、年老いて認知症気味になった山形の母への、さぶのモノローグとして表現されている。

 また、東大時代の鼎談相手の一人が大江健三郎だったこと。
これには『ほぉそうなんや』と思ったのだが、これも、さぶのモノローグの中に『大江健三郎なんかも読んでみたりして』(詳細はうろ覚え)と、難しいことだってわかるんだぞという表現の手法として使っている。
そして『何しろ大江はひどくアカデミックで、話すことがむずかしく』と独白している。
言い得て妙で、この件(くだり)はニンマリしたさ。

 彼は昭和10年生まれの、現在88歳。
我が母と同い年だ。

 そろそろ彼岸への旅立ちを意識して、そこここにその思いが滲み出た本。
そも、80を過ぎて、あんな脚本を書けるんだから凄い。

 大江健三郎はすでに鬼籍に入ってるのに・・・