状況は八方塞がり、気分はどん底
昨日、業務初めに【酒の宝島】に入ると、留守番電話の留守ボタンが点灯していた。
伝言は二つ入っていて、一件目は三島の義姉、二件目は松山在住の叔母からのものだった。
その内容は、亡父の長兄の長男が亡くなった報せ、そしてそれにまつわる香典のハナシだった。
その晩、通夜に出向いた。
従兄は私より8歳年長で、若い頃の交通事故以来、仕事をせずにここまで過ごしてきた人。
その上で、時々問題を起こすので、私が高校生の頃だったかと思うが『新聞沙汰にだけはなってほしくない』と父がこぼしていたことを覚えている。
また父は、実家の面倒を一手に引き受けて処理してきた人で、酔うと時々『ワシはなんでこう苦労させられるんやろのぉ』と泣いた。
当時、まだ若かった私は内心『泣かんでもええやろ』と思っていた。
でも、私自身が当時の父よりずっと歳を重ねて漸く、あの涙が理解出来るようになった。
そんな関係から、従兄とはもう30年余り没交渉だった。
でも、父が心を痛めた人の死に顔は見ておくべきだと思った。
その顔は、父の父、私からすると祖父に当たる人の顔とそっくりになっていた。
若い頃は太り肉(じし)で、やや丸顔だったものが、痩せて別人になっていた。
幼い頃から高校生まで、よく連れて行かれた父の実家の当時の様子が脳裏に浮かび上がる。
ただ素直に冥福を祈る。
三島は弱い雨が降っていたが、土居に差し掛かる辺りで雨が上がり、新居浜に帰り着く頃には晴れていた。
その道中私は、自分が現在抱えている絶望感と戦っていた。
私は今、寂寥と自己欺瞞という負の感情と戦っている。
これも、【出来上がったストーリー】を生きているんだと解釈しているが、その中でどう生きるかが、生まれてきた理由だと考えている。
だから、臥薪嘗胆して、やがてはまた晴天の下を闊歩したいと思っている。
それには暫くの努力が必要だろうが。
昨晩は大汗をかいた。
夜中に目覚めてTシャツを着替えたほど。
9月も下旬、いつまで続く泥濘ぞ。
でもまあ、今朝は元気(な気がする)。
気温も秋めいてきて、カウンター奥のPCで久しぶりにこの文章を打てるようになった。
安物PCくんも、心なしかフットワークが軽くなった様だ。
事程左様に、事象も気分も変わる。
今はどん底でも、そこから這い上がるしかない。
ま、さういうこと、だ・・・
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