【22】
ケイの実家では、一応の平安が訪れたようで、その後ケイには遠出が許された。
そして、月に一度は仕入れの為に上京できるようになって、数か月。
7月に出てきたケイは、また岩手に帰らなかった。
あれからちょうど1年。
魔の7月、熱い7月、狂おしい7月・・・
僕も覚悟を決めて受け入れた。
それからは電話が鳴る度に座布団で塞ぐ日々。
やってることは子供と変わらない。
嫌なことからは逃げて、思いのままに行動する。
でも、それだけに?愉しい日々。
また日曜は二人でそぞろ歩く日々。
ずっとそんな生活が続いてくれれば。
或る日ケイがバイトを決めてきたと言う。
訊けば、そこは【アーバン】と国鉄中央線を挟んだ反対側にある喫茶店だと言う。
その行動力に脱帽。
でも、そのお陰で愉しかった。
僕が早番の日は一緒に出掛けて、帰りは神田駅で待ち合わせて一緒に帰る。
まるでままごとのような日々。
一度、早番上がりの仲間と神田の【天狗】で飲もうとなった日に、ケイを呼んだ。
現れたケイを、仲間に「嫁です」と紹介。
大いに盛り上がったはいいが、僕は飲みすぎて、帰りの中央線の電車では窓から何度も吐いた。
情けなくも、ケイに背中をさすられながら、何処か嬉しかったんだ。
「ケイ、オレ、妻籠や馬籠といった木曽路に行ってみたいんだ。一緒に行こうか」
「熱海は馬鹿にされたからね、ウシ」
トロイの、胴体はライトブルーで襟は白、素材はパイル地、こんな揃いのポロシャツに、僕はGパンで、ケイはホワイトジーンズ。
各所で何枚かずつの写真を撮る。
中でも、何処かの滝を背景に、ポロシャツの半袖を捲り上げたケイのそれがとても似合ってて好きだ。
軽くボーイッシュでとても可愛い。
ケイと二人なら何処へ行ったって愉しい。
持病のことなんて忘れてしまいそう。
その夜は南木曽の民宿に泊まる。
民宿のオヤジさんたちと話しながら食事。
なかなかビールを頼むタイミングが掴めなくて、ようやく出して貰ったとき、二人は目と目で笑ったっけ。
TVでは、大好きな【熱中時代刑事編】が流れていた。
二人で生きる二度目の夏。
それが愉しければ愉しいほど、その足場の脆さに不安な夏。
案の定、その日は来た。
ケイの父親が入院したと言う。
二人のときは電話を取らなくても、ケイは一人でいるときは電話に出てたようだ。
「一旦、帰るね」
「うん、心配だな」
「もしかすると嘘かも知れないけど、そうも言ってられないから」
「それはそうだ。これからのことはまた二人で考えよう」
「うん」
二人でいて結論の出ないことを離れてどうなるというのだ。
我ながら全くその場凌ぎなことを。
こうしてケイは三度目の家出を終える。
【23】
それからはまた文通の再開だが、電話の方は回数が減ってきた。
そして、手紙の内容も段々と諦観の様相を呈してくる。
どうやら、ケイがいよいよこの恋にけじめをつけようと考え始めたようだ。
僕は?
情けないことに、そいつをひっくり返す気力も胆力も無かった。
我ながら実に情けない。
ケイも、そんな僕に愛想を尽かしたのかも知れない。
冷静にお互いの立場と今後を擦り合わせれば、自ずと一つのベクトルに向かってゆく。
『今度、妹と、盛岡に来るオフコースのコンサートに行くよ』
明るいニュースはそれが最後だった。
そして、いよいよ、ついに、ケイの覚悟が。
『シュンが好き。シュンといたい、ずっと。でもね、私の病気はどんどん深刻になってゆくの。このままじゃあシュンに迷惑をかける。だから、私はもうシュンと逢っちゃいけない。そう思うの』
ここでこの僕はどう応えればいい?
この悲壮な覚悟に対して、その場凌ぎな言葉は通用しない。
こうして受け入れた、ケイの決断を。
そしていよいよ最後のデートの提案がケイからあった。
『東京と盛岡の間にある仙台で逢わない!?』
三度目で最後の一泊旅行をしようと、それは親も許してくれていると。
別れると決めた二人の最後の旅行。
ケイの覚悟と決断の発露。
僕はそれに素直に付き従うだけだ。
綺麗に晴れ上がった11月の昼下がり。
僕たちは仙台駅で落ち合った。
折しも、仙台駅舎は新装されていて、エスパルというショッピングモールもあり、お洒落な感じに変わっていた。
と言っても、後にも先にも仙台に行くのはそれだけだったんだけど。
お互いの路線の関係で、ケイが僕を迎える形になる。
ホームから降りて、連絡通路を急ぐ。
やがて改札口が見える。
その先にケイがいる筈。
いた!3か月ぶりにこの目で見るケイ。
いつものボーイッシュなのとは対極のエレガントなワンピースにジャケットを羽織った服装。
僕は僕で、グレーのツィードジャケット、薄いブルーのボタンダウンシャツに赤いペイズリー柄のアスコットタイ。
二人は、これまでにない服装で落ち合った。
これは、ケイが提案したドレスコード。
『私たち、最後くらいはお洒落してみない!?』
ケイ、やっぱりキミは最高だ!
今年の2月、最初の家出となる東京駅での再会の刹那、この胸に真っ直ぐ飛び込んできたケイが、8か月が経って全く変わってしまっていた。
改札の向こうでじっとこちらを見ているケイ。
そこへ速足で近づく僕。
そっと抱き締める。
「久しぶり、待った?」
「ううん、そうでもない」
「逢いたかった」
「私も」
「少し痩せたか?」
「そうかなあ」
それから、僕にとっては多分最初で最後の仙台の街を二人で散策する。
お互いに差し障りのない会話を交わしつつ。
その後、ケイが描いてたコースとして、仙台市郊外にある秋保大滝に向かう。
3か月前に行った木曽の滝での、あの無邪気な二人の関係との落差が身に染みる。
そして、その近く、秋保温泉の中にある旅館に二人は身を寄せる。
温泉で汗を流した後、ゆっくり夕餉をいただく。
それから、宿の近くを散策した後、二人は早めに褥(しとね)に入る。
「シュン、ごめんね、私、突っ張れなかった」
「いいんだ、それを言うなら、不甲斐ないオレのせいだ」
「私、シュンとこうなったこと、決して後悔してないから」
「勿論、オレだって」
「多分、そう遠くない時点で手術を受けることになると思うの」
「それを受ければ回復するんだね?」
「それはどうかな、ただ、このままほっとくと危険な状態だって」
「・・・」
「ケイ、脱いで。裸で抱き合おう」
「最後だね」
「シュン、私のことなんか早く忘れて、愛媛で健康な奥さん貰って幸せになってね」
「ケイも家業をしっかり継いでくれる伴侶を見つけろよ」
「ウソ!嫌だ!忘れないで!私のこと」
「忘れる訳ないだろ!ケイとのことはオレの一生の宝物だと思ってる」
その夜、ケイは初めて僕の前で泣いた。
くっついたり離れたりを繰り返して足掛け2年、ケイはそのとき初めて泣いた。
ケイの流れる涙を胸に受け止めながら、僕はただ抱きしめるしかなかった。
翌朝のケイは、また元のしっかりとしたケイに戻っていた。
仙台駅に続く高架で幅の広い歩道橋の上。
「私の方が便が先だから行くね」
「うん、オレはまだ時間があるからここで」
「シュン、私と出逢ってくれて、強く引っ張ってくれてありがとう」
「・・・」
「私、シュンがいたから、この先も負けずにやってける」
「そうだよ、病気になんか負けちゃダメだ」
「うん、ありがとう。それじゃあ、行くね」
「オレはずっとケイを思ってるから・・・」
そうしてケイは、人ごみの中を真っ直ぐ仙台駅舎に向かってゆっくり歩いていった、一歩一歩噛み締めるように。
そして、見事に、一度も振り返らなかった・・・
【24】
仙台駅での別れからひと月が経とうとしていた或る日、ケイから手紙が届く。
あれ以降、こちらもキチンと受け入れて、仕事に専念する毎日だったから、それは意外で、そして嬉しかった。
それにはこう書いてあった。
『12月24日に手術を受けることになりました。だからと言って、今更シュンにどうこうして欲しい訳ではないの。独りで持て余してしまい、ただ、こうしてシュンに打ち明けたかった。とても怖いって。ただそれだけなの』
ケイが、死の影に怯えてる。
『死ぬかも知れない』なんて思えば、怖くて当たり前。
僕が最初に死を意識したのは、幼稚園かそれに上がる前かの時期、まだ死の何たるかすら実感できてない年頃だった。
ただ、夜寝ながら見上げた天井のシミが気になって、それからはそのシミがどんどん渦を巻いてゆく幻覚を見て、ただただ怖いと思った記憶がある。
そして小学生になると、死の意味も理解出来て、今度は具体的に怖くなった。
それから、中学、高校と成長するに従って、その恐怖感は絶望に繋がってゆく。
だって、死ぬということは、この身体が消えて、それと同時に思考も闇に溶け込んでゆくということ。
そして、この世に唯一ある【絶対】は【死】な訳で、そいつはいずれ必ずやってくる。
その後の自分はどうなるんだろうか。
どうもこうもない、思考できないのだから存在しないということ、それは【無】に還るということ。
そうした思考の渦に一たび巻き込まれると、途轍もない恐怖感に苛まれて叫び出したくなる。
なので、唯一の回避策は【他のことを考える】ということでしかなかった。
ケイがもし、そんな状態に陥っているのなら、僕がその【他のこと】になってやらなければ。
手術の前日12月23日は日曜日。
仕事は休みでちょうどいい。
当日は家族も来るだろうし、付いていてやる訳にはいかない。
ならば、前日、顔を見せてやろう。
そこで思い出した。
ケイが東京を引き上げたのが、奇しくも去年の12月23日だった。
あれからちょうど1年、何かのお導きかも知れない。
朝早くに上野駅から特急列車に乗って、盛岡に着いたのは昼過ぎだった。
後の手紙のやりとりで訊いた病院へ向かう。
看護婦詰め所で訊いた病室を覗くと、そこにケイが居た。
「驚いた、わざわざ来てくれたの?」
「来るさ」
「ありがとう、嬉しい」
「調子はどう?」
「うん、まな板の上の鯉の心境だね」
「お、その意気」
「仕事は大丈夫?」
「うん、今日は日曜だし、今夜夜行で帰るから、明日の仕事には間に合う」
やがて、面会時間の終わりがやってくる。
「あのね、病院を出ると、すぐ近くにSY内丸という映画館の看板があるの」
「看板?」
「そう、照明の当たった古い看板」
「それが?」
「最後に、30秒間だけそこに立っていて欲しいの、ここからそこが見える」
「わかった」
「・・・」
「・・・」
お互いに抱いた【今度こそ最後】との思いが、言葉を詰まらせる。
結局、目と目で恋慕の思いを伝え合い、僕は病室を後にする。
1階までの階段が涙でうるんでよく見えない。
すれ違う人が見てるが、もう僕は嗚咽をこらえることが出来なかった。
こんなに別れが切なくて辛いなんて。
外に出ると、そこはもう北国の冬の夜だった。
ああ、あの看板か。
約束通り、その看板の下に立って病室を見上げる。
すると、さっきまでいた病室の窓に一つの人影が。
ケイが万感の思いを込めて見送ってくれている。
お互いにこれが本当の最後だとの思いを込めて。
僕はゆっくり30を数えてから踵を返す。
そして、一度も振り返ることなく、その場を後にする。
それは、ケイが仙台の別れで教えてくれたことだ。
1978.12.23. ケイが僕の部屋から東京を離れた日
1979.12.23. 僕がケイの病室から盛岡を離れた日
ケイ、結局、僕たち、二人でクリスマスを祝うことはなかったね、一度も・・・
【エピローグ】
2023.9.15.現在
あれからそろそろ44年が経とうとしている。
もう【僕】というのには無理があるだろうから、【私】と変えさせていただこう。
結局、私はあれ以来、ケイとは一切の関係を断った。
なので、彼女が健在なのか、はたまたもう既に鬼籍に入ってるのか、それはわからない。
また、仮に現在元気だとしても、それはもうかつて私の愛したケイではない。
だから、いずれにしても同じことだと思っている。
未練はないのか?
ない筈がない。
ただ、今更、老いさらばえたこの姿をケイに見せたくはない。
多分ケイだってそうだろう。
だから、終わったことなのだ。
私はその5年後、タイプは違うが、やはり美しい人と巡り会い、結婚した。
彼女はスラっと背が高く、均整のとれたそのスタイルが素敵だった。
子供たちがまだ幼い頃、市民プールに家族で出かけたときの、ワンピースの水着姿を、我が妻ながら眩しく眺めたものだ。
でも、今はその妻とも別居状態だ。
要するに、私が駄目なんだろうと思う。
いや、思う、じゃなくて、ダメなんだ。
だから、ケイを無理やり勢いだけで引っ張ってきても、末路は似たようなものだったんじゃないかと思っている。
ということは、最愛の伴侶を不幸にするということだ。
下手をすれば、憎しみ合うことにだってなったかも知れない。
それらを思うに、あの別れは正解だったんだ。
別れて後(のち)数年間は、毎日、ケイのことを思わない日はなかった。
でもやがてそれも潮が引いてゆくように消えていく。
ただ、ふいに、心の中の奥深くに仕舞い込んだ宝箱を開けてみたくなるときがある。
そんなときは、あの頃のケイを懐かしく思い出し、その残滓を噛み締める。
それは、大抵酩酊している状態なので、心が駄々をこねる。
でも、それがカタルシスだとも思っている。
要するに、ケイとの記憶は、私の永遠のトレジャーアイランドなのだ。
片や、先に触れた【死】について。
あれから随分、その関連本を読み漁ったし、自分なりに哲学もしてみた、要するにメメントモリした結果、今こう思っている。
そも宇宙の果てを明快に説明出来る知の巨人はいるか?
少なくとも、私は知らない。
何故か、それは、三次元的自然科学のレベルでは理解出来ない範疇なのではないか?ということなのではないのか?
私たちは、学校で習ったそれらが当たり前の前提で物事を判断してきた。
しかし今こそ、そいつを、根底から疑ってみるべきではないのか?
とすれば、自我はない、時間はない、従って過去も未来もない、当然死後の世界もない、こういう解釈があってもいいんじゃないだろうか?
そも、【自我】という怪物が人を苦しめているのだ。
そして、その上に構築された【性欲】という奴も、人類のやっかいな課題だ。
それこそが、神の与えし必要悪なのではないだろうか!?
人生、そして世界、ひいては宇宙、その全ては【幻】、過去も未来も【今ここ】に一緒くたに存在している。
そして、全ては既にもう決められている。
だから【これでいいのだ】と心が超越できれば、全てが平和だ。
かといって、『じゃあ、努力なんて無駄じゃん』ということにはならない。
それでも一所懸命生きるのが、与えられた人生。
与えられた人生を愉しむ、ゲームだと言っていい。
なので、そこに宗教は要らない。
何故なら、安寧は【今ここ】にあるからだ。
それに気づけばいいだけのこと。
死後の世界はないのだから、極楽浄土などという発想はあり得ない。
だからジハードなんて、似非宗教の教えも嘘っぱちだ。
此岸も彼岸もない、全ては一緒くた。
私は現在、そうした心境にある。
じゃあ、死んだらどうなる?
そんなこと、死んでみなければわからぬ、それでいいんじゃなかろうか?
死を訳もなく怖がった時期に思った末路と、今の心境が描く末路は、現象としては結局同じ。
それは、どちらも【無に帰する】ということ。
すなわち、死ねば全てが消滅する。
その先に何があるのか、いや、そもそもないのか、今の私は、そこが興味津々。
でも、そう考えることで、私にはようやく心の平安が訪れた。
そう、時期が来れば気持ちよく【無に溶け込む】、それでいいんだと。
今はそれが若干楽しみでもある。
とすれば、私の人生は?
最愛のケイとの記憶は?
それらは多分、諸々の出来事の中の【例えばこんな】というひとつの現象。
そんなこと、なんじゃないかな。
だよね、ケイ・・・
完
