例えばこんな【24】
【24】
仙台駅での別れからひと月が経とうとしていた或る日、ケイから手紙が届く。
あれ以降、こちらもキチンと受け入れて、仕事に専念する毎日だったから、それは意外で、そして嬉しかった。
それにはこう書いてあった。
『12月24日に手術を受けることになりました。だからと言って、今更シュンにどうこうして欲しい訳ではないの。独りで持て余してしまい、ただ、こうしてシュンに打ち明けたかった。とても怖いって。ただそれだけなの』
ケイが、死の影に怯えてる。
『死ぬかも知れない』なんて思えば、怖くて当たり前。
僕が最初に死を意識したのは、幼稚園かそれに上がる前かの時期、まだ死の何たるかすら実感できてない年頃だった。
ただ、夜寝ながら見上げた天井のシミが気になって、それからはそのシミがどんどん渦を巻いてゆく幻覚を見て、ただただ怖いと思った記憶がある。
そして小学生になると、死の意味も理解出来て、今度は具体的に怖くなった。
それから、中学、高校と成長するに従って、その恐怖感は絶望に繋がってゆく。
だって、死ぬということは、この身体が消えて、それと同時に思考も闇に溶け込んでゆくということ。
そして、この世に唯一ある【絶対】は【死】な訳で、そいつはいずれ必ずやってくる。
その後の自分はどうなるんだろうか。
どうもこうもない、思考できないのだから存在しないということ、それは【無】に還るということ。
そうした思考の渦に一たび巻き込まれると、途轍もない恐怖感に苛まれて叫び出したくなる。
なので、唯一の回避策は【他のことを考える】ということでしかなかった。
ケイがもし、そんな状態に陥っているのなら、僕がその【他のこと】になってやらなければ。
手術の前日12月23日は日曜日。
仕事は休みでちょうどいい。
当日は家族も来るだろうし、付いていてやる訳にはいかない。
ならば、前日、顔を見せてやろう。
そこで思い出した。
ケイが東京を引き上げたのが、奇しくも去年の12月23日だった。
あれからちょうど1年、何かのお導きかも知れない。
朝早くに上野駅から特急列車に乗って、盛岡に着いたのは昼過ぎだった。
後の手紙のやりとりで訊いた病院へ向かう。
看護婦詰め所で訊いた病室を覗くと、そこにケイが居た。
「驚いた、わざわざ来てくれたの?」
「来るさ」
「ありがとう、嬉しい」
「調子はどう?」
「うん、まな板の上の鯉の心境だね」
「お、その意気」
「仕事は大丈夫?」
「うん、今日は日曜だし、今夜夜行で帰るから、明日の仕事には間に合う」
やがて、面会時間の終わりがやってくる。
「あのね、病院を出ると、すぐ近くにSY内丸という映画館の看板があるの」
「看板?」
「そう、照明の当たった古い看板」
「それが?」
「最後に、30秒間だけそこに立っていて欲しいの、ここからそこが見える」
「わかった」
「・・・」
「・・・」
お互いに抱いた【今度こそ最後】との思いが、言葉を詰まらせる。
結局、目と目で恋慕の思いを伝え合い、僕は病室を後にする。
1階までの階段が涙でうるんでよく見えない。
すれ違う人が見てるが、もう僕は嗚咽をこらえることが出来なかった。
こんなに別れが切なくて辛いなんて。
外に出ると、そこはもう北国の冬の夜だった。
ああ、あの看板か。
約束通り、その看板の下に立って病室を見上げる。
すると、さっきまでいた病室の窓に一つの人影が。
ケイが万感の思いを込めて見送ってくれている。
お互いにこれが本当の最後だとの思いを込めて。
僕はゆっくり30を数えてから踵を返す。
そして、一度も振り返ることなく、その場を後にする。
それは、ケイが仙台の別れで教えてくれたことだ。
1978.12.23. ケイが僕の部屋から東京を離れた日
1979.12.23. 僕がケイの病室から盛岡を離れた日
ケイ、結局、僕たち、二人でクリスマスを祝うことはなかったね、一度も・・・
