【19】
それからの二人は週に二通は手紙のやりとりをした。
そして時々、ケイは近影を同封してきた。
一月末の手紙に、
『来月、名古屋にいる白百合の友達のところへ旅行に出ることになりました。東京駅で逢えない?』
と書いてよこした。
勿論僕は、万難を排して逢いにいくと返した。
そして、待ち合わせ場所を八重洲中央改札口の外側にしようと、電話で話した。
実は、ケイが東京を引き上げるときに、それまでケイが使ってた電話を譲ってもらったんだ。
1万円ずつの月賦払いで。
でも、こちらからケイの実家には掛けられない。
ケイも実家の電話を使う訳にはいかないから、いつも外の公衆電話から掛けてきた。
だから、電話があっても、かなり窮屈なやりとりだった。
その日、バイトを終えたその足で東京駅へ向かう。
改札口の向こうが見渡せる場所の大きな柱にもたれかかって、僕はケイを待った。
どこかのホームに電車が着くたびに人の群れが押し寄せる。
その何度目かの波の中。
こちらに向かってくるケイが目の中に飛び込んできた。
と同時に、ケイも僕の姿を見つけて、弾けるように笑った。
そして、改札を抜けると、真っすぐ僕の胸に飛び込んできた。
「シュン、逢いたかった」
「ケイ、オレも」
僕の胸の中に顔を埋めながらそう言うと、やおら顔を上げて僕を見つめる。
僕は堪らなくなって口づける。
ケイって、こういう感情表現がストレートで巧み。
なので、つい僕も柄にもない行動に出てしまう。
だって、心が震えるほど嬉しかったんだ。
乗り換える新幹線の発車時刻までの時間がタイトだと言う。
なので、僕も入場券を求めて、一緒にホームまで行く。
するとケイ、僕の腕を取って中へ入れと促すので、つい僕も車内へ。
そして「シュン、一緒に行こう」と。
「いや、明日もバイトが」
「いいじゃん、休めば」
「そうかなあ・・・いやいやそういうわけには」
「一緒にいきたい、いたい」
「オレだって、その気持ちは一緒だけど」
「じゃあ、帰りに寄るね」
「大丈夫なのか?」
「出てきたらこっちのものよ」
なんだかハチャメチャな理論。
でも、それもありか、ヤケクソだ。
その三日後、ケイは再びやってきた、僕の住む東高円寺埴生荘へ・・・
【20】
時はあたかも後期試験の真っ最中。
殊勝にもケイは大人しくしていた。
「明日で試験は終わるよ」
「頑張ったね」
「ま、やっつけだけどね。なんとかなったわ」
「じゃあ、明日からは一緒に遊べるね」
「うん、まかせなさい」
「たのしみ~」
翌日、試験を終えて、ケイと飲みに出るつもりで帰宅してみると、ケイが居ない。
見れば、こたつの上に書き置きが。
『両親が突然やってきたので一旦帰ります。また連絡します。』
なんと、親に連れ去られた後だった。
そうか、恐らくは手紙の差出人住所を見て訪ねてきたんだね。
その翌日、千葉在住のケイの叔父という人から電話が入って、次の日曜日に、指定された西船橋の喫茶店で会った。
ケイの父親の弟であるその人は、代理で話をしてみてくれと依頼されたとのこと。
それは勿論、僕たち二人の今後のこと。
君は一体どうしたいのか。
そんなことを訊かれたので、正直に思うがままを話した。
すると、君の意向は伝えておくから。
ということで別れた。
後日、ケイの父親の口から聞かされたことは『しっかりした考え方を持ってるから、人間的には問題ないと思う』と言われたそうだ。
一度、襟を正してこちらから出向く必要があると考えているときに、ケイがまた家出をしてきた。
いい機会なので『送っていきます』と連絡を入れて、二人でケイの実家を訪ねる。
初めて見るケイの住む町。
ただ、浮かれてる場合じゃない。
話し合いの場からケイは隔離された。
同席はしてるが、父親は何も言わない。
母親との面接が始まった。
実はそこで初めて、僕たちに立ちはだかる障害の二つ目を知らされる。
それは、ケイにはバセドー氏病という持病があって、ホルモンの分泌量がうまく調整できない病気なので、普通に暮らしてても人の倍以上疲れるのだと言う。
なので、とても遠く離れた愛媛の、それも商売家には嫁がせられないと。
「あなたは、あの子にそれを打ち明けられてる?」
「・・・」
「でしょ、それが出来ないのは、あの子が一番解ってるからなのよ」
「・・・」
「そこで、提案なんだけど、あなたがうちに来てくれない?」
「え、養子ということですか?」
「そうです。そうしてくれるなら、盛岡に喫茶店を出させてあげるから」
「・・・」
「あの子はうちの呉服店を継いで、あなたは喫茶店を経営すればどうですか?」
「・・・」
正直、ショックだった。
流石にその状態では愛媛に連れて帰る訳にはいかないだろう。
かといって『跡を継ぐから』と打ち明けたときに喜んだ父親を裏切れない。
第一、僕自身が岩手という全く馴染みのない土地で、それも養子という立場で上手くやっていけるのかどうか、自信が持てなかった。
ということは、そいつをケイ置き換えた場合はどうなんだ?
ケイだって、その不安があって当たり前だろう。
そいつを押し殺してまで愛媛に付いてくると言ってくれた。
その思いにちゃんと応えられるのか?オマエ・・・
それで思い当たることがいっぱい出てきた。
二人の恋が唐突で、性急で、直線的だったこと。
そして、ケイの人一倍の明るさとその行動力。
これらは全て、ケイの持病に対する不安から派生したことだったのではないか?
だったら、それに応えてやりたい。
今こそケイを精一杯の愛情で抱きしめてやりたい。
でも、僕にも実家の家業が・・・
結局、結論を出せないまま、翌早朝、ケイの父親に最寄りの駅までタクシーで送ってもらう。
その車内では、「いやまはぁ、今朝はしばれるねえ」と、顔見知りの運転手に話しかける父親。
別れ際、車外に出てきて、「追い返すようですまないね。気を付けて」と。
僕は「お世話になりました」と頭を下げて駅舎の中へ。
基本的に心根の優しい人なんだろう。
彼の胸中や如何に。
その前夜、ケイの部屋で暫くの時を過ごした後、「今夜は遅いから泊まって帰りなさい」と客間に案内され、そのまま別々に眠る。
「起きて。悪いけど、このまま帰って。タクシーを呼んでるから」と母親にそっと起こされる。
「え?せめて顔だけでも見させてください」
「ちょっとだけよ、起こしちゃだめよ」
「わかってます」
そっとケイの部屋のドアを開けると、眠ってるケイ。
その寝顔を見届けて、ドアを閉めようとしたその時、ケイの目が開く。
「シュン、どうしたの」
「ケイ、帰らなきゃいけない。また連絡するから」
「いやだ、一緒にいく」
「ケイ、今は無理だ。辛抱してくれ」
そうして僕は帰された。
しっかりした母親だった。
家のこと、娘のこと、それらを守るために必死だったのだろう。
それが解るだけに、こちらも強くは出られない。
以後、この母親とは電話で幾度となく渡り合うことになる。
【21】
それからまた、二人の文通と、ケイが公衆電話を使って時々掛けてくるときの会話という二つの手段での毎日が再開する。
肝心の二人の今後のスタンスについてだが、結局は、僕が養子として岩手に行かなければ二人の結婚はないという暗黙の了解のようなものが出来上がってしまっていた。
ケイは『既成事実を作っちゃおうか!?』という過激なことも書いて来たりしたが・・・
やがて卒業式。
明治のそれはいつも武道館、まあ、他の大学も大体そうだろう(多分)。
仲の良い学友たちが、明治大学本館裏の錦華公園に集合して、そこから皆で歩いて武道館に向かう。
何故なら、我々にとって錦華公園に勝るとも劣らない馴染みの場所が北の丸公園。
武道館はその一角にある。
明治の文系は、2年までは和泉校舎で学び、いよいよ専門課程に入る3年からはお茶の水に移る。
それからは、駿河台を下り九段までが我々の散歩コースとなった。
そして、九段の靖国神社対面にあるのが北の丸公園なのである。
そのほとんどが下駄ばきの我々は、カランコロンと歩いて行って、春はキャッチボール、夏は九段会館の屋上ビアガーデン、秋は芝生に寝っ転がって日光浴、冬は・・・行かなかったかな?と、あの辺りをを闊歩したものだ。
その思いを込めてのラストウォーキングという細工。
式典を終え、その仕上げは我々仲の良い者たちだけで、住友ビル53F【acb】に会場を移してのフェアウェルパーティ。
ここもよく同じメンバーで通った。
リコと出逢ったのもここからだったな。
1975年度入学、明治大学法学部法律学科2組は60名ほどの組織、そして内3名だけが女子という構成だった。
僕は、内輪で手軽に、というのが嫌いなので、彼女たちとは4年間一度も会話を交わしたことがなかった。
でもこの日は別。
当然のことながら、話してみると、とてもフランクな好ましい女子たちだった。
中でも、久美とはハナシが盛り上がり、電話番号を教えた。
後日久美が電話を掛けてきて「西村くん、まったく取り付く島ない感じだったもん、もっと遊べばよかったのにね」と。
おっしゃる通り、僕はやっぱり意固地なんだろうな。
さて、いよいよ社会人。
僕も一応就職活動なるものはトライしてみた、経験として。
受けたのは1社、家業との関係もあるサントリー社。
勿論、落ちた。
何故なら、まず、履歴書の書き損じを線で消してある所業が不真面目と面接官から叱責された後のグループ面接のメンツが国立有名大と早慶という無理目な線で、バツ印なことはアホでも解るという構図だったから。
それに、馬鹿正直に解禁日10.1.に、何の準備もせず試験を受けるアホウはなかなかいない、ということにも後になって知るくらい不真面目だったんだ。
まあ、自業自得というやつだね。
だって、父親との約束があった。
『やりたいことの勉強として1年間の猶予』の後は新居浜に帰って、家業を継ぐと。
まあ、父親だって、それ以上の何かが息子にあれば、好きなようにさせてくれたろうが、情けないことに、僕にはそんな強烈な思いは無かった。
何もかもが中途半端な男なんだ、僕は。
そんなこんなで、他の奴らみたくの一所懸命さが僕には一切なかったんだ。
そして頼ったのがアルバイトニュース。
その中でこれ!と思ったのが『独立志望の方の応援します』といったふれこみの珈琲専門店。
それは神田鍛冶町【珈琲専門店アーバン】という店だった。
神田駅西口を出て、線路沿いを東京駅方向に数百メートル行ったところのガード下スペースにそれはあった。
案内の通り、僕と同じ思いの仲間が数名いる環境で、実際に数年そこで修行すればなんとかなる感じ。
でも正直、1年では無理。
だって、ほとんどホール、すなわちウェイターで終わったから。
まあ、先入先出の論理から言えば致し方ない。
そこに勤め出したある朝、早番の朝一の仕事として、店の外を掃き掃除していたときだった。
神田は、いわゆるビジネス街、通勤時間帯には大勢の人たちが行き交う。
「西村くん?」と声を掛けられた。
見れば、久美がそこに立っている。
「おお、ひさしぶり」
「いや、ひさしぶり、じゃなくて、何してんのここで」
「ああ、そこの店に勤めてんだ」
「え?喫茶店?」
「そうだよ」
「そうなんだ、しかしなんで?」
「うん、修行」
「そうか・・・」
どうやら久美には理解できない行動だったらしい・・・
続く
