宝島のチュー太郎

20年続けたgooブログから引っ越してきました

    冬でも生のまま舐める、店主はそれが好き

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例えばこんな【21】

【21】


 それからまた、二人の文通と、ケイが公衆電話を使って時々掛けてくるときの会話という二つの手段での毎日が再開する。
肝心の二人の今後のスタンスについてだが、結局は、僕が養子として岩手に行かなければ二人の結婚はないという暗黙の了解のようなものが出来上がってしまっていた。

ケイは『既成事実を作っちゃおうか!?』という過激なことも書いて来たりしたが・・・



 やがて卒業式。
明治のそれはいつも武道館、まあ、他の大学も大体そうだろう(多分)。
仲の良い学友たちが、明治大学本館裏の錦華公園に集合して、そこから皆で歩いて武道館に向かう。
何故なら、我々にとって錦華公園に勝るとも劣らない馴染みの場所が北の丸公園
武道館はその一角にある。

 明治の文系は、2年までは和泉校舎で学び、いよいよ専門課程に入る3年からはお茶の水に移る。
それからは、駿河台を下り九段までが我々の散歩コースとなった。
そして、九段の靖国神社対面にあるのが北の丸公園なのである。

 そのほとんどが下駄ばきの我々は、カランコロンと歩いて行って、春はキャッチボール、夏は九段会館の屋上ビアガーデン、秋は芝生に寝っ転がって日光浴、冬は・・・行かなかったかな?と、あの辺りをを闊歩したものだ。
その思いを込めてのラストウォーキングという細工。

 式典を終え、その仕上げは我々仲の良い者たちだけで、住友ビル53F【acb】に会場を移してのフェアウェルパーティ。
ここもよく同じメンバーで通った。
リコと出逢ったのもここからだったな。

1975年度入学、明治大学法学部法律学科2組は60名ほどの組織、そして内3名だけが女子という構成だった。
僕は、内輪で手軽に、というのが嫌いなので、彼女たちとは4年間一度も会話を交わしたことがなかった。
でもこの日は別。
当然のことながら、話してみると、とてもフランクな好ましい女子たちだった。
中でも、久美とはハナシが盛り上がり、電話番号を教えた。

 後日久美が電話を掛けてきて「西村くん、まったく取り付く島ない感じだったもん、もっと遊べばよかったのにね」と。
おっしゃる通り、僕はやっぱり意固地なんだろうな。


 さて、いよいよ社会人。
僕も一応就職活動なるものはトライしてみた、経験として。
受けたのは1社、家業との関係もあるサントリー社。
勿論、落ちた。
何故なら、まず、履歴書の書き損じを線で消してある所業が不真面目と面接官から叱責された後のグループ面接のメンツが国立有名大と早慶という無理目な線で、バツ印なことはアホでも解るという構図だったから。
それに、馬鹿正直に解禁日10.1.に、何の準備もせず試験を受けるアホウはなかなかいない、ということにも後になって知るくらい不真面目だったんだ。
まあ、自業自得というやつだね。

 だって、父親との約束があった。
『やりたいことの勉強として1年間の猶予』の後は新居浜に帰って、家業を継ぐと。
まあ、父親だって、それ以上の何かが息子にあれば、好きなようにさせてくれたろうが、情けないことに、僕にはそんな強烈な思いは無かった。
何もかもが中途半端な男なんだ、僕は。
そんなこんなで、他の奴らみたくの一所懸命さが僕には一切なかったんだ。

 そして頼ったのがアルバイトニュース。
その中でこれ!と思ったのが『独立志望の方の応援します』といったふれこみの珈琲専門店。
それは神田鍛冶町【珈琲専門店アーバン】という店だった。
神田駅西口を出て、線路沿いを東京駅方向に数百メートル行ったところのガード下スペースにそれはあった。
案内の通り、僕と同じ思いの仲間が数名いる環境で、実際に数年そこで修行すればなんとかなる感じ。
でも正直、1年では無理。
だって、ほとんどホール、すなわちウェイターで終わったから。
まあ、先入先出の論理から言えば致し方ない。

 そこに勤め出したある朝、早番の朝一の仕事として、店の外を掃き掃除していたときだった。
神田は、いわゆるビジネス街、通勤時間帯には大勢の人たちが行き交う。

「西村くん?」と声を掛けられた。
見れば、久美がそこに立っている。
「おお、ひさしぶり」
「いや、ひさしぶり、じゃなくて、何してんのここで」
「ああ、そこの店に勤めてんだ」
「え?喫茶店?」
「そうだよ」
「そうなんだ、しかしなんで?」
「うん、修行」
「そうか・・・」

 どうやら久美には理解できない行動だったらしい・・・