君がいないと小説は書けない
「死んだあとは無」という、ごく普通に生きてきた人間が持つ死に対する概観を装いつつ、宇宙の法則めいた論理を展開。
24ページから25ページにかけては、私レベルでは腑に落ちなかった「時間は存在しない」という本にもあったような、量子力学の考え方がベースになってないか?
要するに、自分の哲学ではなく、既存の理論をベースにした脚色ではないか?
だから、借り物っぽくて、こちらの心に染み込んでこない。
宇宙の法則や量子力学がベースになっているようで、「本人と、その人を知る人の記憶が消えれば、その人は永遠に消える」といった、ごく在り来たりな自然科学をベースにした解釈が混ざる。
なので、「ホントのところは理解できてないのに、わかったようなことを書いているんじゃないか!?」と、つい考えてしまう。
なので、読みながら、ついイラっとしてしまう。
311ページ15行目。
「この世界にはすべてがある。すでに死んでしまった人たちも、これから生まれる人たちもすべてのものが、もう今ここに存在している」
と書いてはあるが、「今ここ」を持ち出しながらも、真に理解してない、というか、納得がいってないように思える。
要するに、自我の塊が、宇宙の法則を理解しようとしているから、堂々巡りになる。
「自我は存在しない」という部分に飛び込んでいかなければならない、と、思う。
282ページ7行目「意識を宇宙に持って行く」、
9行目「自らの意識が別の場所にもまったく同時に存在するというイメージを常に保持しながら書き進めていったのは事実だし、小説の核心ももそこにあったのだ」
そこにあるように、テーマは「死を解析する」にあるのではないか?
ただ、何度も言うが、そこには借り物の知識のみがあり、それを咀嚼しきれてない印象を受ける。
否定的な感想に終始して申し訳ないが本音なので致し方ない。
最終的に、著者が描く「自分の人生」に抱く思いが理解できない。
私は、自分の人生が「長くて退屈でひどく空しい夢」だとは考えたことがない。
第一、私の思考回路はそこまで虚無的にできてない。
感受性が鈍いのか?(かもしれん、ムフ)
私の人生はそれなりに愉しかったし、今も愉しい。
そう言い切ることは「恥知らず」なんだろうか?・・・


