![]() | 山川さん、黒斎さん、いまさらながらスピリチュアルって何ですか? |
| クリエーター情報なし | |
| 日本文芸社 |
ちょっと目を通しておきたいけど、わざわざお金を出してまでの気はない(失敬)ので、図書館にリクエストして買ってもらった本。
一言でスピリチュアルと言っても、書き手語り手によってビミョーにニュアンスが違ったり、果ては真逆の事を唱えたり・・・
理屈で「死」を理解しようとする者にとっては、学べば学ぶほど迷路に迷い込むもの。
かくいう私も、「判った!」と思ってみたり、「ん?」と混ぜっ返してみたり。
まあ、「死」と真正面から取り組めるようになった事だけが進歩と言えば言えなくもないが。
ホラ、
「太陽と死は直視できない」ラ・ロシュフーコー
っつう言葉があるじゃない。
笑える、この言葉のウラを取ろうとググってみれば、自分のブログ記事が2番手に上がってきたよ。

2006.10.22.に投稿しているその内容を読めば、こんな締めくくり方をしておる。
上の行動で行き着いたサイトにこんなのもあった。
・死が真正面から自分を襲ってきた時、人から借り物の死生観では、これを 乗り越えることはできない。(岸本英夫)
正しくその通りだと思う。
きっかけとなった下の本は、どうやら酷評されているようだが、なに、人間、自分で考えられることは高が知れている。
ならば先人の知恵を拝借するのもひとつの手段だ。
そこから生まれる「気づき」が自己の潜在意識かも知れない。
要は、それらをよく咀嚼することだ。
「死」から逃げぬことだ。
すると、「身の回りに在る大概のことは大した問題ではない」
と、思えてくる・・・
そんな訳で、「死から目を背けずに掘り下げてみる」作業が、目下の私のライフワークとも言えようか。
そうした作業の過程で、「3歩進んで2歩下がる」状態がずっと続いておる。
「もしかしてこの本がそののろい歩みにとって、何らかの起爆剤とならないものか」
結句(西村賢太くん風)そんな思いに駆られて次々と漁っている文献の中の一つ。
それがこの本だ。
結果として、それはかなり正解に近かった。
これまで抱えてきた疑問に触れている項目がいくつかあって、それは参考になった。
もうここまででかなりの気力を使ったので、詳細は割愛するとして、
その中の二点のみ挙げておく。
1.「引き寄せの法則」として悟られていることが理解できるようになるには、
或る程度の意識変容が必要。
それは、大きく分けて3段階の意識状態がある。
*第一段階
「自我」が優勢な状態。
「自分の力で結果を得るんだ!」と奮闘している、
「山登り型」人生の意識。
*第二段階
事はただ起きているのであって、私がやっているのではない、
という感覚が出てきたあたりの意識。
何かを引き寄せようということではなく、流れに身を任せてみよう、
という「川下り型」の人生展開。
*第三段階
その川を下りきって海に出た状態。
可能性という大海原で帆を揚げて、
風向きを見ながら自分の行きたいところに行く。
この段階になってようやく「引き寄せの法則」の出番。
そう、ここのところの説明不足によって「引き寄せの法則」が変な風に捉えられるのだと思う。
例えば、「ザ・シークレット」では、何も努力する必要はなく、ただ念じていればいい、と説く。
そしてそのコツは充足感、満足感、幸福感、ひいてはそれらに対する感謝だと。
突き詰めればそういうことであっても、いきなり1冊の本を読んだ程度でその境地に到達出来るとは到底思えない。
だって、「足りない」から「欲しい」のに、「足りてる」から「幸せだ」と思い込めなんて、自己欺瞞の極致だろう。
また、経営の神様、稲盛和夫さんもかなりのレベルのスピリチュアルな人で、著作の中でも度々その片鱗を垣間見せる。
ただ、彼の主張は、正しく第一段階のそれで、「成功は不断の努力によって自分で勝ち取れ」というのが骨子。
事ほど左様に、様々な本で学べば学ぶほど、こうした自己矛盾に対峙するすることとなる。
ただ、それらを乗り越えたところに本来の「気づき」が得られるのであると考えれば、それらこそが「禊ぎ」と言えなくもない。
2.輪廻転生や過去生は無い。
*全ては一つ、つまり「ワンネス」
*仏教が「無我」と説くように、本当は「私」と呼べる実体は存在しない。
1本の樹木で例えれば、木全体が宇宙全体、ワンネス、
存在の全てと考えると、命も魂もこの木の命、木の魂しかない。
今の人間の意識状態は、この木についている葉の1枚1枚に、
個別に命や魂が宿っていると、勘違いしているようなもの。
そこに「自分(葉)と宇宙(木)」という錯覚が生まれている。
「あの葉(人)とこの葉(人)は別々!」というように。
これも理屈としては合点が行き易い。
私が宗教を受け入れないのは、「神」の概念がシックリこないから。
いわゆる「神頼み」という行為は、彼我(=かれと、われ。相手と自分。あちらとこちら)の感覚。
そう捉えると、宇宙の法則がねじ曲げられてくる。
「私」は「神」である。
こういうと、反発を受けることは必至。
だが、「私」は「神」の一部と捉えればどうだろう。
すなわちそれが「ワンネス」だ。
長くなった。
仕事しなきゃ。
最後に、巻末の「おすすめ本」が貴重。
私はこれまでその半数余りは既に読んできたが、その存在すらも知らなかったものについては、「秘密の入り口」を教えてもらったようで有り難い。
そこで、今後の自分の為にも、今朝早くメモ書きしたものを貼り付けておく。
中にはその存在も知ってるし、もしかすると既に手元に取り寄せたものもあるかも知れない。
やっぱ、蔵書の保管場所の整理が必要だなぁ・・・

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