宝島のチュー太郎

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    冬でも生のまま舐める、店主はそれが好き

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1975(昭和50)年夏の豊島園



アン・ルイス グッド・バイ・マイ・ラブ







 今朝のワイドショーで、「近場でバカンス」の好例として、豊島園の回るプールが映っていた。
あの頃と何にも変わってない。
懐かしくて、瞬時に「今日はこれ書こう」と思った。



 あの頃とは、私が明治大学に入学した年の夏のこと。
当時の私は、高三コースの綴じ込みハガキで応募した朝日奨学生だった。

奨学生といっても、別に出来がいいから与えられた特典ではなくて、朝日新聞の販売所に住み込んで配達をこなしながら通学すれば、奨学金として学費を朝日新聞社さんが出してくれるという、ギブアンドテイク型のそれだ。


 長くなるのでこの際、細かいことは割愛して、核心から入ろう。

西武池袋線の、池袋から数えて、確か五つ目の中村橋というところに私の住む「朝日新聞中村橋販売店」はあった。
旧くて細長い4階建てのビルには、文字通り同じ釜の飯を食う仲間が数名いた。

拓殖大学4年で秋田出身のS藤さんとK上さん、武蔵大学3年で鹿児島出身のY田さん、東京音楽大学2年で留萌出身のK藤さん、池袋の予備校生で秋田出身のS藤くん、そして私、の総勢6名が個室を与えられて新聞配達業務をこなす毎日。


こうなると、ただの下宿屋とは違って、妙な連帯感が生まれる。



 昭和50年夏と言えば?
そう、我が町新居浜の新居浜商業が甲子園において、初出場で初決勝進出をした年だ。

新居浜商業は、あれよあれよという間に勝ち進んだが、最後は惜しくも習志野にサヨナラ負けした。

それぞれの大学は夏休み、だから、朝刊と夕刊の間は自由だ。
そこで、1階の食堂に集まって、「みんなで河端の新居浜商業を応援だ!」てなことになる。
準優勝に決まった日の夜は、S藤さんが残念会と称して焼き鳥屋に連れてってくれた。








 そんな夏のこと。

新聞屋には、「せんざい」というものがある。
宣伝材料の略語だと思うが、みんな「せんざい」と呼んでいた。


それは主に営業をかける専門の人が使うものだったんだけど、我々配達要員にも(集金もするので)、ある程度は枠があった。
主には、それこそ洗剤だったりするんだけど、その中に「豊島園無料入場券」があって、少しなら自分たちのために使っても構わない暗黙の了解のようなものがあった。




 で、みんなで豊島園の流れるプールに出掛けた!というハナシ。
なんだか導入部が長すぎて疲れる。





我が良き友よ - かまやつひろし






豊島園は、販売店からそう離れていない。
なので、みんながそれぞれの配達用自転車に乗って出発だ。

総勢6名が荷台と前かごのでっかいでっかい、あの新聞配達用自転車に乗って行進する訳だから、ちょっと微笑ましかったんじゃないかな。



楕円形で、流れるプールがメインの遊び場なんだけど、それには浮き輪があると愉しい。
そこで、貸し浮き輪の登場。


それはタイヤのでっかいチューブを膨らませたもので、大人が優に仰向けに乗っかれるから、青空を眺めながらプールの流れに漂うことが出来、これがかなり和む。
なので、確か2個だけ借りて、交互に回しながら遊んだ。


その順番がK上さんに回ってきたときのこと、渡された浮き輪をプールに浮かべたK上さん、そいつを後ろに構えて、後ろ向きにジャンプして真ん中に収まろうとするのだが、こいつがなかなか上手くいかない。

何度も水中に落っこちてその度河童みたく上がってくる。
その段階で充分に微笑ましかったんだけど。


何度目かのトライでようやく、K上さん、見事に浮き輪の真ん中にダイブ成功!



 「やった!」と思ったその瞬間、「あっ!」という声がして、K上さん、なんだかケツの辺りを探っている。

「やぶけた」と言うK上さんの海パンは、ケツの部分が見事に裂けて割れ目が見えている。
そう、タイヤチューブの再利用なので、バルブがやや内側向きにあるんだけど、そいつに海パンが引っ掛かったのである。

でまたK上さんの海パンは、中坊が穿くようなあのスクール水着だったものだから、引っ掛かり易く裂け易いときたもんだ。
(K上さん、秋田の貧農の出身とのことで、兎に角倹約な人だった)



 申し訳ないけど、これには全員が腹を抱えて笑った。

で結局K上さん、それ以降ずっとバスタオルを腰に巻いて、それでもプールで遊んでたという、なんとも懐かしい光景が今朝、そのワイドショーの映像に重なって浮かんだという訳である。




 して、なんでBGMがアンルイス?ってことなんだけど、当時、豊島園は週末の夕刻から野外コンサートが時々催されていて、私はそのうちのアンルイスの晩と今陽子の晩に聴きに行った。
(無料のトリガーは効果絶大)

アンルイスがまだデビューして間もない頃だったと思う。


出待ちをして、ミニレコーダーに何か喋ってくれとお願いをしたら、「ハ~イ、あんちゃんで~す」と言ってくれた。
あれが今なら、アラーム代わりに使えるのだけど。




 指折り数えてみれば、あれから38年。

一つ屋根の下に住んで、同じ釜の飯を食った仲間たちとはその後繋がりはない。
みんなどうしてるだろう?




 多分、なんやかやと悩んだり愉しんだりしながらそれぞれに生きてるさ。


それでいいし、そう思う外に仕様がない。





 ただ、ハッキリ言えることは、あの夏、確かに私たちはあそこで生きていたし、輝いていた。






 今はただ、そんな思い出がある我が人生に感謝するのみ・・・ってか。














昨日の画像

 ひょんなことから面白いカメラアプリを見つけた。
これだと、馬鹿でかい画像をリサイズする手間が省ける。
そう、サイズ指定機能がついてるのだ。