けふのBGM
いよいよこの曲。
満を持してという訳では無く、他にネタが浮かばなかっただけなんだけど、
こんな経緯で私が作った動画。
チキンライス
この曲を作詞したのは松本人志。
彼は確か私より七つか八つ年少の筈。
でも、感覚は私のガキの頃とよく似ている。
なので、この曲を聴くと思い出す年末の思い出でも書いておこうかと。
昭和31年生まれの私は、日本の高度成長期と共に育った。
思えば、それは、貧乏でもなく裕福でもない、いわば、世間全体が倹約な時代ではなかったか。
どの家もぼっとん便所だったから、蝿もそこら中ブンブン飛んでいた。
普通に手で蝿を追いながら食事したし、商店に行けば、天井からリボン式の蝿取り紙がぶら下がっていたっけ。
食卓に上がるのは、牛肉なんて年に何回かで、いつもの肉は大概鯨肉(げいにく)。
たまに牛肉を焼くときは、「今晩はビフテキぞ」と母が声高らかに宣言し、我々子供達は快哉を上げたものだ。
いちいち上げてるとキリがないので、この辺りでやめとくけど、そんな風にみんな倹約だった。
贅沢は辛抱して着実に資産を増やしていった。
商店はどこも、営業すれば着実に売れたし、それなりに儲けもあった。
日本そのものがそんな時代だったように思う。
あの頃、商売家である我が家の大晦日はてんやわんやだった。
夜になって、その年最後の営業を終えた父は、我々兄弟を車に乗せて、市の中心街の洋品店に出掛ける。
正月くらい、子供達に新しい服を買い与えようという訳だ。
私の記憶によれば、当時、新居浜の安売り洋品店といえば、「なにわや」と「たまや」という店があった。
多分、我々のような家族も多かったのだろう。
大晦日の洋品店は、夜遅くまで営業していた。
そこで父と一緒にセーターやカーディガンを選んだのではなかったか。
(細かな記憶は曖昧)
それが、我が家の大晦日の恒例として何年か続いたように思う。
もう50年近くも前のことだ。
時は流れ時代は変わる。
そして、人は順番に旅立っていく。
変わらなければならないことと、変わってはいけないことがある。
それを肝に銘じてるつもりでもままならぬこともある。
そういうのを試練とか局面とか呼ぶのかなぁ。
あれ、当初想定した着地点はここじゃなかったけどなぁ。
ま、いっか・・・

本文とは関係ないんだけど・・・
