ニーチェの言葉とSNSと偏屈なオヤジ
注目されたいのに注目されない理由
自分だけは特別に注目されたいという欲望。
だが、注目されるという目的は果たされない。
なぜなら、他の人みんなが自分の観客だとそれぞれに思っているからだ。
『超訳 ニーチェの言葉』より
けふのBGMその2
[ 汚れた英雄_2011 ] 草刈正雄 × ローズマリー・バトラー
私が今ひとつSNSなる仕組みに馴染めないのは、これを感じてるからなのだろうと思う。
かかわってもらうためにかかわっていく。
そこに村社会が出来る。
そして、一般から取り残されたくないという日本人特有の付和雷同的体質がムーブメントを起こす。
そこへもってきて、中には「商売に利用したろ」的な輩の、邪で助平な心根が見え隠れする。
「そんなんヘドが出るわ」
なんて考える体質だから、どうにも素直になれない。
嘘っぽい
そう思ってしまうのである。
しかし、よくよく考えてみれば、ザッカーバーグくんだってそれで巨万の富を手にしている。
それに、米国人だって、嬉々としてプライベートをひけらかして楽しんでるところを見れば、あながち、日本人だけが駄目な訳でもなさそうだ。
結局は、自分だって「商売に」といった助平心満々なのだから、どこかで折り合いをつけて割り切るか、敢然と離れるか、どっちかなんだろうけど、
だとすれば余計に、中途半端な気持ちじゃあ、首を突っ込みたくないような。
この偏屈な性格は、焼かれるまで治らないんだろうなぁ、多分・・・
