宝島のチュー太郎

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庄司薫




けふのBGM

ノルウェイの森// ビートルズ









拙ブログのアクセス履歴を眺めていて気づいたのだが、ここ数日、やたら「庄司薫」の検索から訪問されているようだ。



彼は一時、若者の旗手のように持て囃された時期があって、私も高校時代には結構な著作を読んだものだが、以来数十年、沈黙を守っている作家。


「もしかして死んだ?」
などと、誠に失礼な発想に促されてググってみたが、なんらそのような記事には行き当たらない。

偶然?


まあ、それは置いといて、わざわざ書こうと思い立ったのは、こんなことが面白かったからなのである。


一つには、「サリンジャーライ麦畑でつかまえて』との関係をめぐって」というウィキペディアの記事。


以下引用ーーーーーーーーーーーーーー



『赤頭巾ちゃん気をつけて』以降の庄司作品に野崎孝サリンジャーの影響を見る向きもある[15][16]。『ライ麦畑でつかまえて』と文体やプロットから主人公の設定や小道具まであまりに似すぎているのではないかという声は『赤頭巾ちゃん』の発表当時から存在し、『東京新聞』は1969年9月2日朝刊ワイド面「こちら特報部」に「"薫ちゃん"気をつけて」と題する記事を掲載したことがある。

この中で当時明治大学助教授だったサリンジャー研究者三浦清宏は『一つの意見』と題する論評を寄せ、「盗作」「贋作」といった言葉を避けつつも、『ライ麦畑でつかまえて』との類似点を「…とかなんとか」「…やなんか」といった言い回しや「とくに女友達にかける時なんかがそうで、どういうわけか、かならず『ママ』が出てくるのだ」(庄司)と「困るのは、最初に電話に出るのは彼女じゃないだろうということなんだ。おやじかおふくろが出てくるにきまってんのさ」(サリンジャー)といったディテール、また両者ともブルジョワの家庭に生まれた精神的に不安定な少年が理由は違うにせよ行くべき学校がなく彷徨する姿を描いた作品であることなどを挙げ、具体的に検証して見せた。

これに対し、庄司は『三浦氏へ…ボクの見解』と題する手記を寄せ、「ぼくは、このような意見に対しては、ただぼくの作品を読んでいただきたい、というほかないと思います」と宣言しながらも、「ぼくは、このような意見、つまり『薫くん』流にいえば、ひとの足をひっぱって自分の存在を主張するといった『品性下劣』な、めめしい発想をとてもお気の毒に思います」「いずれにしてもこの三浦氏にももう一度よく『赤頭巾ちゃん』を読んでいただきたいと思います。もっともそうすると『舌をかんで死んじゃいたく』なるんじゃないか、という心配もありますが」と皮肉り、東京新聞の記者に対しては「サリンジャーを盗んでいるなんて批評は、十年も、いや二、三年もすれば、そうでなかった──とわかりますよ」と予言した。

このとき、コメンテーターとして小島信夫は『赤頭巾』を未読としつつも「私の周囲の米文学者は、受賞直後から(両作品の類似を - 引用者註)話題にしてました。文章をそのままいただいたというのではないので盗作とはいえないというのが大方の意見でしたが……。人によっては、明治以来、ずいぶん多くの外国文学が取り入れられてきたが、こんなに主体性のない取り入れ方をしたのは初めてだなんていってました」と発言し、佐伯彰一 は「よく似ているけど、サリンジャーのものほどうまくいってない」「選考委員がサリンジャー作品を知っていて、なおかつ斬新さを認めたのならいいんですけど、そうでないとすると、ひっかかる人が出るでしょう」と述べた。庄司はその後、『東京新聞』1969年9月12日夕刊文化欄に『とにかく読んでください』という反論文を発表し、『週刊言論』1969年10月1日号のインタビューでも同様の反論をおこなった。

この点につき、栗原裕一郎は庄司が同人誌時代に福田章二名義で発表した『白い瑕瑾』(『駒場文学』第9号、1958年4月)の文体が『赤頭巾ちゃん』に近い「かもしれない」ことを指摘しつつ、「野崎訳『ライ麦畑でつかまえて』が発表されたのは1964年、『白い瑕瑾』は1958年だから、『赤頭巾ちゃん』の文体が『白い瑕瑾』の時点ですでに出来上がっていたとすれば、少なくとも野崎訳文体の模倣とはいえない計算になる」(『盗作の文学史』p.114、新曜社、2008年)と述べた上で、「文学青年を自称し『若さ』についてもっぱら考えていた庄司が『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいなかったとは考えにくいから、『ライ麦畑』の邦訳に自分が捨て去った文体の可能性を再発見しブラッシュアップをもくろんだというあたりが模倣疑惑の実情にちかいのではないかと推測されるが、庄司が真相を吐露することは今後もないだろう」と論じている(同書p.122)。

ただしサリンジャーのThe Catcher in the Ryeの日本語への初訳としては『白い瑕瑾』に先立つ1952年、橋本福夫訳の『危険な年齢』がダヴィッド社から出ている。この訳書には既に「これには参ったね」(That killed me.)や「…やなんか」(...and all)などの頻出表現が登場しており野崎はそれを踏襲したに過ぎない。しかし、この橋本訳サリンジャーが庄司に影響を与えた可能性については栗原も言及していない。


ーーーーーーーーーーーーー以上引用




ここまでの論議を呼んでいるとは知らなかった。

しかし、根拠はないけど、私もなんとなくほぼ同列で捉えていた。





二つ目は、「村上春樹庄司薫の一致」というあるブログの記事。


ーーーーーーーーーーーーー以下引用


由美ちゃんとは、庄司薫が1969年~1977年にかけて発表した、いわゆる「赤黒白青四部作」の主人公「薫くん」の恋人?である。(薫くんは結局、この四部作を通じて、由美ちゃんとは性交渉を持たない。ずーっとボディガード役に徹するわけだけど)そして、ユミヨシさんとは、村上春樹の『ダンスダンスダンス』に登場するユミヨシさんのことだ。

川田氏は、村上春樹庄司薫を継ぐ遺志を持って、『風の歌を聴け』からの四部作(『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『ダンスダンスダンス』)を書いたと推理する。村上春樹のテクストには、庄司薫を匂わせる要素が満載だと。

その推理の根拠探しは奇妙の数値の一致から始まる。
この部分が面白い。

風の歌を聴け』には「デレク・ハートフィールド」という作家が登場する。主人公の「僕」が「文章についての多く」を学んだ作家だ。

小説の最後でも「ハートフィールド、再び・・・・・(あとがきにかえて)」に、

もしデレク・ハートフィールドという作家に出会わなければ小説なんて書かなかったろう、とまで言うつもりはない。けれど僕の進んだ道が今とはすっかり違ったものになっていたことも確かだと思う。

などと書き、

最後になってしまったが、ハートフィールドの記事に関しては前述したマックリュア氏の労作、「不妊の星々の伝説」(Thomas McClure; Legend of the Sterile Stars: 1968)から幾つか引用させていただいた。感謝する。

1979年5月 村上春樹

で締めくくられている。

ハートフィールドはご存知の通り、架空の人物だ。なので実は「風の歌を聴け」という小説は、一種のメタ小説でもある。小説の最後に「作者」が登場し、ハートフィールドをあたかも実在の人物かのように扱っている。

ハートフィールドという作家については、『風の歌を聴け』のなかで以下のような情報が与えられている。

◦ハートフィールドは1909年にオハイオ州の小さな町に生まれ、そこに育った。
◦彼の五作目の短編が「ウェアード・テールズ」に売れたの1930年で、稿料は20ドルであった。
◦しかし1938年(1938年6月)に母が死んだ時、彼はニューヨークまででかけてエンパイア・ステート・ビルに上り、屋上から飛び下りて蛙のようにペシャンコになって死んだ。
◦ハートフィールドは21歳で商業的に小説を書き始め、その8年後に自殺する。
さて、「ハートフィールドに影響を受けた」この小説の主人公である「僕」は、1975年5月に「小説」を書いている。小説の舞台1970年8月。その時、「僕」は21歳(誕生日は12月24日)だ。そこから、「僕」は1948年の生まれであることがわかる。
つまり、「僕」は、21歳のときのことを、その8年後に書き始めている。

さらに、ハートフィールドの自殺から「僕」の出生までのインターバルは約10年6ヶ月となる。(1938年6月ハートフィールド没~1948年12月24日「僕」誕生)

また、チャプター1では、僕が「8年間」何も書けずにいたということと、ハートフィールドが、「8年と2ヶ月」小説家として「不毛な闘いを続けそして死んだ」という記述がある。

ここで登場する数値「21歳」「8年2ヶ月」「10年6ヶ月」は、庄司薫の作家活動の年表上の数値と奇妙な一致を見るのだ。

庄司薫の『赤頭巾ちゃんに気をつけて』は1969年5月に中央公論に発表され、その四部作の最後『ぼくの大好きな青髭』は1977年7月に中央公論から刊行されている。その間はずばり「8年と2ヶ月」であり、ハートフィールドが「不毛な闘いを続け」た期間とぴったり一致する。

実質、庄司薫は、この四部作を発表した後、二度目の「沈黙」に入り、小説家としての活動をやめてしまっている。つまり、ハートフィールド8年2ヶ月の活動後に「死んだ」ということと、庄司薫の断筆はアナロジーなのだ。

また、庄司薫自身1958年11月に「喪失」で中央公論新人賞を受賞、作家としてデビューする。1937年4月19日生まれの彼の年齢は21歳。さらにこのデビュー後、『赤頭巾ちゃんに気をつけて』を発表する1969年5月まで、庄司薫は「退却・総退却」と自らが名づける沈黙の時期に入る。
このインターバルもこれまたずばり「10年6ヶ月」だ。つまり、ハートフィールドが死んで、「僕」が生まれるまでのインターバルと一致する。

ものすごいこじつけのような気もするし、村上春樹ぐらいだから、かなり意図的に罠を張り巡らせるかのように、こういったトリックを仕込んだとも考えられる。(村上春樹研究本では、この手の「ノストラダムス的解読」ものが結構多いですよね)
村上春樹自身が何かしら発言することはないと思うので、真相は闇の中ではあるけれども、川田氏の発見したこの数値の一致はひじょーに興味深い。

ただし、
風の歌を聴け』には、川田氏が指摘する以外にハートフィールドについての記述はいろいろあって、その部分と庄司薫、「薫」くんとの関係などは、一切無視されているわけで、多少乱暴ではあるなぁとも思った。偶然に数値が一致することだってあるかもしれない。

この数値の一致だけではなく、いかに村上春樹のテクストが庄司薫を意識しているか(模倣しているか)ということを、登場人物の関係の一致や、ディティールの一致などで説明はしていくのだけれど、どうも都合のよいところだけをピックアップしてきて相似を見ているだけのような気がしないでもない。
まぁでも、個人的にはこの手の「謎解き」は嫌いではないので、今までまったくといっていいほど僕のなかで関係してこなかった二人の作家が、つながったということだけでも収穫だったと思う。

他、いくつか指摘されている二人の小説の一致をあげておこう。

キズキ君は「赤いN360」で自殺する。
「薫くん」は女の子とのデートの時に「真っ赤なホンダN360」でドライブする。

「キズキ」は『ノルウェーの森』に出てくる「直子」の元彼氏だ。
ちなみに『ノルウェーの森』の「僕(ワタナベトオル)」は、直子と性交渉する段になり、直子が処女であることを知る。つまり「キズキ」と「直子」は性交渉を持っていなかったわけで、「キズキ─直子」の関係と、四部作を通じて性交渉を持たない「薫くん─由美ちゃん」の関係は相似している。

キキ殺しの犯人、五反田君はマセラティを所有する。現実の庄司薫の「ぼくの車は確かマセラーティのエンジンをつんでいてその気になれば相当猛烈にはしるが」(『僕が猫語を話せるわけ』)

「薫くん」の靴はラバーソールである。ビートルズのアルバム「ラバー・ソウル」が『1973年のピンボール』にでてくるし、「ノルウェーの森」が収録されている。ワタナベトオルが緑の家に初めて訪れた時に近所で火事がおこる。庄司薫中村紘子のマンションを初めて訪れた時も階下で火事がおこる(『ぼくが猫語を話せるわけ』解説)。
ワタナベトオルは日曜は基本的に休む。「薫くん」にとっても「安息日」である。『羊をめぐる冒険』の星形の斑紋の羊と『僕の大好きな青髭』のリンゴ印と星印の女の子。「飼っていた犬は僕が中学校に上がった年に雨に打たれて肺炎で死んだ。それ以来は犬は一匹も飼っていない」(『ダンスダンスダンス』)は、そのまま「薫くん」の飼っているドンという犬である(『赤頭巾ちゃんに気をつけて』)。「僕」の<やれやれ>と「薫くん」の<マイッタマイッタ>。

いくらなんでも「ラバーソウル」はこじつけだろう…なんて思いつつも、よく見つけてきたなぁと関心してしまう。


ーーーーーーーーー以上引用



これも根拠はないが、私の中では同類だったのである。




因みに、拙ブログで「庄司薫」を検索すると、これらの記事が上がってくる。



そして今、手元には図書館から借りてきたばかりの「1Q84」がある・・・








追記

「これらの記事」のリンク先として、「庄司薫」の検索結果ページのurlを貼り付けた。
すると、この記事も上がってくる。
そのurlはこの記事を書きながら貼り付けたものなのにである。

何が言いたいかというと、過去の検索結果としてのurlでなく、リアルタイムのそれが出てくるということを初めて知ったということ。

因みにそのurlは、http://blog.goo.ne.jp/shiroikyoto/s/%BE%B1%BB%CA%B7%B0

/s/

↑このsは恐らく「検索→search」のsなのだろう。



てことは?

/%BE%B1%BB%CA%B7%B0

↑この部分に「庄司薫」のファクターが封じ込まれているということ?


う~~~~~~~む・・・