宝島のチュー太郎

20年続けたgooブログから引っ越してきました

    冬でも生のまま舐める、店主はそれが好き

www.sakenotakarajima.com

豊島園

先日読み終えた「カシオペアの丘で」という小説に何度か登場する豊島園という遊園地には私にも少なからず思い出がある。

昭和50年(1975年)4月に進学の為上京した私は、「中村橋」という西武池袋線沿線の町にある朝日新聞売店に住み込み店員として従事することになる。

当時(多分今もだろうが)は、拡材というものがあった。
拡材とは、顧客拡張材料の短縮呼称で、洗剤が主であったが、地域性を活かしたものとして、豊島園の優待券があった。
要は、豊島園の入場料金が無料になる券である。
勿論、乗り物に乗るには都度別料金が必要だったが、イベントやプールはそれでいけた。
これをダシに新規購読を促したり、不手際が生じた際の「お詫びのしるし」とするのである。
そしてそれが結構自由に使えたように記憶している。

拓殖大学4年生2人、武蔵大学3年生1人、東京音楽大学2年生1人、明治大学1年生1人、予備校生1人、出身は北海道、秋田、愛媛、鹿児島といった学校も出身地もバラバラの住み込み店員達が、文字通り同じ釜の飯を食うつきあいとなる。

そいつらが時々その拡材を利用して豊島園に出掛けた。
自転車で10分程度の距離ではなかったか。
自転車は勿論、例のごっつい配達用車である。
これが複数、列を成して乗り付ける様は、今から思うにかなり滑稽な風体ではなかったか。


日曜の夕方に時々ある野外コンサートにも出掛けた。
ピンキーやアン・ルイスが手の届く距離で歌ってくれるし、ロハだし、貧乏学生にとってはまあ結構なレクレーションではあった。

そのアン・ルイスの声を録ったカセットテープが多分今でもどこかにあるだろう。
というのは、仲間が帰るのを尻目に、私は見当をつけて「出待ち」をしたのである。
案の定彼女はそこから出てきた。
「何か声を録音させてください。」と私が頼むと、
彼女は気軽に、
「ハ~イ アンちゃんで~す!」と応えてくれた。

いや、たったそれだけのことです。ハイ。


昨日のこと、朝のTVにたまたまそこのプールが映った。
昔のままだ。
大きな楕円の、水が流れるプールである。
当時は貸し浮き袋が、でっかいタイヤのチューブだった。

何個か借りて、みんながそれに代わる代わる乗っかって遊んでいた。
忘れもしない、秋田出身の拓大4年の先輩は、なんとも懐かしい水着だった。
なんと言えばいいのか、スクール水着というのか、小学生が穿くような感じのそれはダブっとしていて、いかにも格好なんて全然気にしない先輩の特徴が良く出ている(笑)。
その先輩が、浮き輪の交代時に、背中から乗っかろうとしてすべった。
その拍子になんと、浮き輪の空気を入れるバルブの部分にそのダブついた水着が引っ掛かって見事に裂けた。
それも大きく。
尻の割れ目がのぞいている。
これには申し訳ないがつい大笑いしてしまった。

その後もその先輩はバスタオルを巻いて過ごしたのだから大したものである。


その同じ夏、我が郷土の「新居浜商業高校」が甲子園初出場で、あわよくば初優勝に手が届くところまでいった。


なんと、32年前の今からちょっと先の思い出である。
遙かなり我が青春・・・